手塚治虫の先祖と家系図は?医者で、父親・母親・息子と娘は?家族構成は?
NHK総合テレビで、『ファミリーヒストリー「手塚眞〜父は漫画の神様 ルーツは平安の武将〜」』が2016年2月12日(金)に放送されました。
手塚眞(てづか・まこと)さんといえば、白髪の老人を思わせる、ミステリアスな薄いクリーム色に染めた髪が、とても印象的ですよね!
漫画の神様・手塚治虫さんの息子さんとして、もっぱら知られていますが、ご本人もヴィジュアリストとして、これまで『星くず兄弟の伝説』・『白痴』・『ブラック・ジャック』などの映画製作にかかわってきた、とても才能溢れるお方です。
手塚眞さんの『ファミリーヒストリー』というと、当然、お父さんの手塚治虫の『ファミリーヒストリー』ということもできます。
『陽だまりの樹』で先祖を描く
手塚家のご先祖については、治虫さんの漫画『陽だまりの樹』で、描かれていました。
『陽だまりの樹』は、手塚治虫の曽祖父にあたる、蘭方医・手塚良仙を主人公に、幕末の江戸時代を舞台に、繰り広げられる歴史漫画です。
手塚治虫は、医者家系の出身
手塚治虫は、医学生だった頃に漫画家としてデビューしたのは、よく知られていますね。
そもそも、手塚治虫は、なぜ医学部に進学したのでしょうか?
その理由は、手塚家が医者の家系だったからだそうです。
しかしながら、手塚治虫の父・粲(ゆたか)は、住友金属に勤めるサラリーマンであり、祖父・太郎は、裁判官でした。
では、一体どこに医者がいるのかというと、曽祖父よりも前の代ということです。
手塚治虫の曽祖父が、先ほど触れました『陽だまりの樹』の主人公である医師・手塚良仙です。
その良仙の父・手塚良庵が、常陸国府中藩(現在の茨城県)の御典医を務めていたといいます。
つまり、手塚家は、江戸時代のご先祖が、医者の家系ということになります。
手塚眞さん所蔵の家系図
ファミリーヒストリーでは、手塚眞さんが、代々伝わっているという家系図を披露されていました。
かなり虫食いの跡があって、歴史を感じさせるものでした。
それによると、手塚家の先祖は、『平家物語』にも出てくる武将・手塚光盛だそうです。
手塚光盛は、信濃国(現在の長野県)で活躍した武将です。
その光盛の子孫が、どうして常陸国をルーツとする手塚家とつながるのかを、番組取材班は探索しました。
上田市の同姓宅を徹底調査
近隣にある手塚姓の家を片端から調べ、聞き込み調査をおこなっています。
すると、上田市に手塚姓の家がたくさんある集落を見つけました。
聞き込み調査をおこなっているうちに、番組取材班は、上田市内にある安楽寺というお寺に、手塚家の先祖に関する資料があることを、突き止めます。
安楽寺には、手塚吉兵衛という江戸時代初期の人物の位牌が保存されていました。
位牌とともに保存されていた板に、手塚家の由緒が書かれていました。
それによると、手塚吉兵衛は手塚光盛の子孫であり、吉兵衛の子供・盛行が寛永年間(1624年~1645)に、常陸国に出て、藩主・徳川頼房に仕えたといいます。
この記載が、手塚眞さん所有の家系図の内容と一致していました!
つまり、手塚家の家系図の、根拠を見つけることができたのです。
こうした裏づけを得たことで、武将・手塚光盛の子孫であるという伝承は、事実だったという確信を得ることになります。
家系調査は、実際に、このようにおこなわれます。
同姓分布の調査をしたり、同姓宅への聞き込み調査を徹底的におこなったりと、大変地道な作業が積み重なっていくものです。
まあ、手塚家は、家系図が残っていたので、調査がしやすかったとも思えます。
手塚治虫の才能は、祖父譲りかもしれない
番組の後半では、手塚治虫の祖父・太郎さんのエピソードも紹介されていました。
現在の東大法学部を首席で出た、優秀な裁判官だった太郎さんですが、意外な才能を持っていたようで、孫たちに宇宙都市の話をしていたようです。
こうしたお話を聞いて育ったのが、手塚治虫さんなわけですね。
手塚太郎様御肖像
手塚治虫の家系は、皇室にもつらなる名家!
手塚治虫さんは、母方の家系も素晴らしいです。
祖父は、陸軍中将・服部英男で、先祖は服部半蔵と言われています。
また、治虫さんの叔母様が、陸軍大将で東京市長を務めた岸本綾夫の妻にあたります。
手塚家は、親戚をたどっていくと、皇室につながるような、華麗なる閨閥(けいばつ)を持っている、名家なのです!
今回のファミリーヒストリーも素晴らしい内容でしたね!
またの放送を、楽しみにしたいと思います。