志賀直哉の父親、子孫の家系図!妻と息子と娘?祖父母と兄弟、家族は?

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congerdesign / Pixabay

志賀直哉の父親、母親と家系図!祖父母と先祖は?妻は武者小路実篤の親戚で息子と娘は?子孫は?

志賀直哉は、
白樺派の代表的な作家として知られ、
小説の神様、の異名を持つことで、
とても有名ですね。

志賀直哉は、
芥川龍之助や太宰治、あるいは三島由紀夫といった作家に比べると、
比較的地味な印象を与えるようですが、

お坊ちゃん育ちであるにも関わらず、
かなり人間味があり、
面白い人物だったようです。

この記事では
志賀直哉の妻や子供、子孫など、
家族や、先祖や家系図に関する事柄を見ていきます。

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志賀直哉の先祖は、福島県相馬藩士の家系

志賀直哉の家系について、
まずは
志賀直哉の先祖について見ていきます。

志賀直哉の先祖は
現在の福島県東部にある、
相馬藩士の家系です。

志賀直哉の先祖は、
戦国時代の、近江国の志賀城主、
志賀直為にさかのぼるのだそうです。

志賀直哉の先祖は、埴谷雄高の家系と親戚

志賀直哉の先祖の家系は
江戸時代には、
相馬藩士として仕えましたが、
200石取りという、かなり家格の高い武士の家系でした。

なお、
志賀直哉と同じ相馬藩士には、
作家の埴谷雄高(本名は般若豊)の先祖も仕えており、
150石取りで、
志賀直哉の先祖とともに相馬藩の上級の家臣でした。

志賀直哉と埴谷雄高の先祖は、
江戸時代には親戚関係にあったようです。

志賀直哉の祖父、志賀直道

志賀直哉の家系は、
明治時代になってからさらに栄えます。

志賀直哉の祖父の代から、
家系を見ていきましょう。

志賀直哉の祖父の名前は
志賀直道といいます。

志賀直哉の家系は、
先祖代々、志賀直〇という名前です。

武士の家系には多いですね。

志賀直哉の祖父、
志賀直道は、江戸時代後期の1827年生まれ。
旧幕時代は相馬藩士として仕えましたが、
明治維新後は福島県の大参事という公職をつとめ、
実業家としても活躍します。

志賀直哉の祖父、
志賀直道は足尾銅山の経営にも参画していました。

志賀直哉は父親と、祖父の足尾銅山経営をめぐって関係悪化

志賀直哉というと、
父親との確執で有名ですが、
父親との確執の原因のひとつに、

志賀直哉が祖父の足尾銅山経営に関心を持った、
ということがあります。

足尾銅山といえば、
田中正造のエピソードで有名ですが、

それを
志賀直哉が調べようとしたら、
父親が反対したそうで、
これがのちの長きにわたる父親との確執の発端でした。

しかしながら、
志賀直哉の祖父は、
これに特に怒ったりしなかったそうで、
温厚な性格の人だったようです。

志賀直哉の家系は長生きの家系で、
祖父の志賀直道は、
江戸時代後期の生まれでありながら、
数え年で80歳まで長生きしました。
(志賀直哉の父親は76歳、志賀直哉は88歳、志賀直哉の息子は93歳)

志賀直哉の祖母の家系も、福島相馬藩士

そして
志賀直哉の祖母についてです。

志賀直哉の祖母は、
1836年に
志賀家と同じく相馬藩士の木村重基の次女として生まれました。

志賀直哉の祖母の名前は
志賀留女(るめ)と言います。

志賀直哉の祖母は、
武士の娘でしたが、読み書きができなかったと言われています。

志賀直哉の父親、志賀直温の家系図

では
志賀直哉の父親から、
家系図を見ていきたいと思います。

志賀直温 1853-1929
旧相馬藩士・志賀直道長男
慶応義塾出身
総武鉄道専務、札幌木材、帝国生命保険各取締役、
豊前採炭、東京堅鉄製作所各監査役

先妻:銀
伊勢亀山藩士、佐本源吾四女

長男:直哉
明治16

後妻:こう
明治5、天童藩士、高橋元次娘

次男:直三
明治32
慶應義塾卒業
マサチューセッツ工科大、ケンブリッジ大留学
同妻:順
明治36、伯爵副島道正の三女

長女:英
明治30
東京府立第三高等女学校卒業
子爵実吉安純の二男、海軍軍人、実吉敏郎と結婚

二女:淑子
明治34
東京府立第三高等女学校卒業
福島、山際太郎と結婚

三女:隆子
明治36
東京府立第三高等女学校卒業
住友総理事、鈴木馬左也の長男、鈴木愨太郎と結婚

四女:昌子
明治41
聖心女子学院卒業
住友総理事、鈴木馬左也の三男、鈴木乾三と結婚

五女:禄子
明治45
香蘭女学校卒業
大倉商事会長、伊藤英次郎と結婚

※家系図は敬称略

志賀直哉の父親には、先妻と後妻がいて、
先妻とのあいだの子供は、
志賀直哉だけでした。

志賀直哉の父親、志賀直温は大金持ちだった

志賀直哉の父親の
志賀直温は財界人であり、
鉄道会社や保険会社など、数多くの会社で役員をつとめた人物です。

したがって、
志賀直哉の実家は大金持ちであり、
とても裕福な子供時代、学生時代を過ごすことになります。

志賀直哉の家系図を見ると、
兄弟や姉妹たちもそれぞれ、
名家の方と結婚しており、

志賀直哉の家系図は、
日本の上流社会の閨閥と結びついています。

志賀直哉の妻の名前は?武者小路実篤と親戚!

志賀直哉の妻や子供について
話題を進めてみます。

志賀直哉の妻は、
親友である作家、武者小路実篤の従妹にあたる、

旧姓、
勘解由小路康子さんという方です。

旧姓の勘解由小路は、かでのこうじ、と読みます。

志賀直哉は、
父親と事あるごとに衝突していますが、
この結婚をめぐっても、
志賀直哉の父親は、反対したそうです。

志賀直哉の子供は何人?

志賀直哉の子供は
8人で、2人の息子と6人の娘がいました。

息子と娘を幼くして一人ずつなくしているので、
成人するまで育ったのは
一男五女でした。

志賀直哉の家族の、家系図を見てみましょう。

志賀直哉 1883-1971
明治16、志賀直温二男
東京帝大国文科中退
小説家

妻:康子(さだこ)
明治22、子爵勘解由小路資承女 (武者小路実篤のいとこ)
華族女学校

長男:直康
大正8
早世

次男:直吉
大正14
学習院高等科中退
岩波書店常務取締役

長女:慧子
大正5
早世

次女:留女子
大正6
男爵長与太郎と結婚し離婚後、国立音楽大学院長、土川正浩と結婚

三女:寿々子
大正9
奈良女子高等師範付属高女出身
農林官僚、中江孝男と結婚

四女:萬亀子
大正11
奈良女子高等師範付属高女出身
お茶の水女子大名誉教授、柳宗玄と結婚

五女:田鶴子
昭和4
日本女子大附属高女出身
日揮社長・山田伸雄と結婚

六女:貴美子
昭和7
日本女子大附属高女出身
男爵安場利和孫、安場保文と結婚

志賀直哉の子供たちも、
みなさん名家の方と結婚をしています。

志賀直哉の息子、志賀直吉の職業は岩波書店常務

志賀直哉の息子の、
志賀直吉さんは、

学校教育は無意味だと考えるところがあった
父親、志賀直哉の教育方針で、
大学進学をゆるされませんでしたが、
岩波書店に入社し常務まで務めています。

志賀直哉の子孫は?孫とひ孫もいる

志賀直哉の子孫としては、
孫に、志賀道哉さんがいらっしゃいます。

志賀直哉の子孫として、
志賀道哉さんは活動されています。

また
志賀直哉にはひ孫もいるようです。

志賀直哉の子孫は、
東京都に在住していると見られているそうです。

志賀直哉は、
世田谷区新町や渋谷区東に自宅がありましたので、
子孫の方もその付近に住んでいるのかもしれませんね。

というわけで
志賀直哉の家族や家系図、先祖や子孫に関する事柄について、書いてみました。

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