恵俊彰さんの実家とファミリーヒストリー

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giusti596 / Pixabay

恵俊彰さんの先祖調査

先日のファミリーヒストリーでは、お笑いコンビ・ホンジャマカの恵俊彰(めぐみ・としあき)さんの家系を調べていました。
「恵(めぐみ)」という苗字は珍しいので、どういったルーツなのか、気になりますね。
番組の内容を、考察をまじえながら、紹介していきたいと思います。

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恵俊彰の苗字のルーツは?

番組の冒頭では、恵俊彰さんの実家を訪ね、恵俊彰さんの父を訪ねています。
番組取材班は、「恵家の先祖について、何か知っていることはないか」と訊きました。
すると、「恵姓を名乗る前の姓は、萩原だった。本当の苗字は萩原だ。」と、インタビューに答えていました。

恵俊彰、まずは戸籍調査

取材班は、真相を調べるべく、戸籍を取り寄せています。
戸籍は明治19年式戸籍で、戸主・萩原萩和志とあります。
この萩原萩和志が、恵俊彰さんの高祖父にあたります。
戸籍をよく見ると、萩原萩和志の前戸主が「萩原萩賢」、そして妻が「傳(でん)」ということです。
実を言うと、高度な専門的知識を持った人であれば、こちらの戸籍を見ただけで、先祖の江戸時代の身分や職業が分かるのです。

恵俊彰の先祖は鹿児島城下にいた

また、冒頭の恵俊彰さんの実家での取材において、以下のような逸話もありました。
「先祖は、鹿児島の島津氏の家臣だった。城下の西田町というところに住んでいた。」というのです。
そこで、番組取材班は、ファミリーヒストリーでは、おなじみの鹿児島県立図書館長・原口泉さんを訪ねました。
鹿児島にルーツのある方の調査となれば、必ず原口泉さんの出番となります。
今回も立派な館長室で、取材に応じてくださいました。

城下絵図を調べる

原口泉さんは、鹿児島城下の地図を広げました。
そして、その地図のなかに、恵俊彰さんの先祖と思われる方の屋敷を見つけています。
「西田町に、萩原一兵衛という名前の武士が住んでいた」と言います。
「西田町に、萩原という姓の家は一軒しかないので、こちらが恵俊彰さんの先祖である萩原氏の家だったのではないか」、ということです。
ちなみに、恵俊彰さんの先祖・萩原氏の屋敷の近くには、加山雄三さんの先祖・池端氏の屋敷がありました。
それぞれのご先祖様は顔見知りだったのかもしれませんね。

参照記事
加山雄三さんの家系図とファミリーヒストリー

恵俊彰の先祖は鹿児島から奄美大島に渡った

さらに、番組スタッフは調査を進めます。
古文書を探ると、以下のような事実が分かりました。
恵俊彰さんの先祖・萩原氏の先祖は、鹿児島城下に住んでいたのですが、奄美大島に派遣されることになった、ということのようです。
奄美大島を支配する代官の部下として派遣されたのでした。

墓所の調査で分かること

番組では、萩原氏の墓所を訪ねています。
古い石で、墓石の形状や、書かれていることから、明らかに武士のものであることが分かります。
これは、恵俊彰さんの高祖父の父・萩原萩賢のものです。
そこに「與人」という文字が彫られています。
これは何を意味するのでしょうか?

参照記事
先祖の墓地調査

再び、原口泉さんを訪ねる

そこで、番組スタッフは、再び鹿児島市内に戻り、前述の鹿児島図書館長・原口泉さんを訪ねました。
困ったときの原口泉さんです(笑)
これくらい知識のある方がいると、心強いですね!

原口泉さんによれば、「『與人』というのは奄美大島を支配した役職のことで、かなり位の高い階級だった。」ということです。

恵俊彰の先祖は?

その後、番組では「恵」という苗字のルーツについて、話題が移っていきます。
調査によれば、恵俊彰さんの高祖父は、萩原萩和志という名前でしたが、その二男である太助(恵俊彰さんの曽祖父)が恵(めぐみ)という苗字の家に養子に入って、恵姓になったというのが真相でした。

改姓と養子入りを区別しよう

番組では、「もともと萩原という苗字だったのが、途中から恵になった。」というようにナレーションされていたのが、誤解を与えているのではないかと感じました。
番組の冒頭で、恵俊彰さんの父が、「恵姓を名乗る前の姓は、萩原だった。本当の苗字は萩原だ。萩原を恵に変えた。」と、インタビューに答えていましたが、これも誤解です。
萩原から恵に改姓したのであれば、このように言う事ができます。
しかし、萩原家から恵家に先祖が養子に入ったことで苗字が変わっているのであれば、「本当の苗字」とか「もともとの苗字」などというのは、ナンセンスです。

細かいことを指摘しているように思われる方もいらっしゃるでしょうが、これは「家系」を調べる際には、誤解してはならないことなので、明確にしておきます。

しばしば、先祖が養子に入っている場合には、このようにして伝えられていることが多いのです。
「他家から養子に入っている場合」と、「改姓」した場合は、明らかに異なるものです。
こうした誤解が、先祖調査を進めるうえで、障壁になることすらあるので、注意したほうが良いと思われます。

参照記事
明治時代の改姓・廃絶家再興と複姓

恵家に養子入りした恵俊彰の曽祖父

さて、番組では、恵俊彰さんの曽祖父・太助が養子に行った恵家のルーツについて調べています。
実は、太助の母の実家が「恵」という苗字でした。
おそらく、母の実家に後継ぎがなかったので、太助は養子に入ったということなのでしょう。

原口泉さんに、恵俊彰さんの先祖を尋ねる

では、太助が養子に入った恵姓の先祖は、どういう人だったのかということを、番組では調べています。
ここでまた、原口泉さん登場です。
原口泉さんに訊けば、何でも分かるんです。
「恵家は、萩原家と同じく、奄美大島の武士の家柄であり、家系図も残されている。家系図によると、もともとは琉球王国から奄美大島を治めるべく派遣された者を先祖とする。その後、鹿児島の島津氏の支配下に入った。」ということのようです。
つまり、恵という苗字のルーツは沖縄県にあったわけですね。
それが、鹿児島藩に仕えるようになって、代々続き、恵俊彰さんの曽祖父は、その恵家に養子に入ったということのようです。

恵俊彰さんの祖父と父

その後、恵俊彰さんの祖父・恵積五郎が織物職人となり、奄美大島を出て鹿児島に渡ります。
積五郎は、鹿児島に出て、成功し工場を経営するまでになりました。
恵俊彰さんの父は、それを継ぎ、さらに事業を拡大させました。
もともと。恵俊彰さんは、家業を継ぐ予定だったそうです。
それが、東京に出て「芸能界に入りたい」ということになったのだそうです。

今回のファミリーヒストリーの感想

今回のファミリーヒストリーは、なんといっても原口泉さんの活躍が目立っていましたね。
また、鹿児島に先祖を持つ方のファミリーヒストリーで、お目にかかりたいと思っています。

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