村上春樹の家族構成や奥さん、先祖・家系図について
村上春樹さんといえば、日本を代表する作家です。
毎年、ノーベル文学賞候補と言われていますね。
新刊が出るたびに話題になります。
そんな村上春樹さんの家族や、嫁・村上陽子さんや両親や祖父の情報について、お送りします。
村上春樹の祖父は住職?
村上春樹さんは、自身のエッセイ「村上朝日堂」などで、ご自身の家族についてよく語られています。
それによれば、祖父は京都にある浄土宗寺院の住職だったということです。
Wikipediaには、
「祖父は長岡京市粟生の浄土宗西山派光明寺住職」とありますが、
これは事実ではないように思います。
Wikipediaに書かれていると、
すべて事実のように思ってしまいがちですが、
有名人の家族については堂々とデマが書かれていることがあります。
私が調べてみたかぎりでは、村上春樹さんの祖父は、こちらの寺院の住職ではないようです。
おそらく、京都府にある浄土宗の、どこかの末寺の住職なのではないでしょうか。
村上春樹の父親・村上千秋
村上春樹さんの父親については、
2009年2月にエルサレム賞を受賞した際に、スピーチで語っていました。
それによれば、
父・村上千秋さんは、京都帝国大学文学部を卒業し、
大学院に進学し国文学の研究職を志していたようです。
大学院を経て、
当時の慣例に倣い中等学校の教諭となりました。
(当時は大学教授になるまでの一定の期間を、
旧制中学や
高等女学校の教諭を務めることが
一般的でした。
現在のオーバードクターやポスドクのようなものです。)
村上千秋さんは、教職を務めるかたわら、パートタイムで僧侶も務めていました。
村上千秋さんと甲陽学院
そして、兵庫県内の進学校として知られる甲陽学院の国語教師として赴任ました。
生後まもない村上春樹さんを連れて、西宮市の夙川に転居し、その後、芦屋市に移ったそうです。
村上春樹の母親と兄弟姉妹
母親については、大阪・船場の商家の娘であり、生粋の関西人で「当然のことながら関西弁を使って暮らしてきた」ということです。
母親も国語教師でした。
兄弟姉妹はいません。
村上龍さんや、村上隆さんと兄弟という話は、完全なデマです。
また、曽祖父は小説家・国木田独歩という話がありますが、これもデマです。
村上春樹は、両親の期待に反発する
両親ともに国語教師で読書好きだったこともあって、小さい頃から一貫して本を読んで育ちました。
両親は日本の古典文学を愛好していたのですが、それに反発をおぼえて海外文学に傾倒し、高校時代から英語のペーパーバックを読んでいたといいます。
「学校はあまり好きじゃなかった」というのは、エッセイに書かれていました。
1968年に、早稲田大学文学部に入学、映画演劇科へ進みました。
「国立大学に入ってくれ、という親の意向で、浪人時代、嫌いな数学と生物を勉強していた」といいます。
村上春樹の父親と母親は関西人ゆえ…
両親ともに関西人であるため、
「野球は阪神、大学は京大」といった環境だった、
とエッセイに書かれていましたので、
おそらく
京都大学文学部を
第一志望にしていたのではないでしょうか。
父親が
京都大学文学部出身なので、
一人息子である春樹さんにも、
自分と同じような
堅実な道を進ませたいという
意向が
あったのかもしれません。
しかし、村上春樹さんは、
大学に入ると堅実な父親とは正反対の道を歩みはじめます。
大学に入ると、講義にはほとんど出ないで、
新宿でアルバイトをしながら歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送ったといいます。
妻・村上陽子さんとの出会い
村上春樹さんの妻は、村上陽子さんといいます。
奥さんの名前もエッセイなどでよく書かれているので、ご存知のかたも多いでしょう。
たまたま講義で隣に座ったことから交際が生まれたそうです。
村上陽子さんの旧姓と実家
妻・村上陽子さんの旧姓は高橋で、実家は文京区千石にある布団屋さんだそうです。
結婚した当時は、二人とも早稲田大学文学部に籍をおいていました。
学生結婚ですね。
ジャズ喫茶のマスターから人気作家へ!
在学中の1974年国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店しました。
村上春樹さんは、おとなしいマスターだったようです。
その後1977年に「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移しました。
その後の、『風の歌を聴け』からのデビュー以降の、村上春樹の足跡については、みなさんご存知の通りです。
参照記事
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