蓮實重彦の妻と子供、父親、母親は?先祖は華族?家系図と家族は?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0
スポンサーリンク

JanBaby / Pixabay

蓮實重彦の父親、母親、妻、息子は?先祖は華族?家系図と家族?

映画評論、文芸評論、フランス文学研究など、
幅広い領域で活動される
蓮實重彦(はすみしげひこ)さん。

蓮實重彦さんといえば、
独特の文体が非常に特徴的で、
多くの作家や評論家に影響を与えました。

長らく大学教育にたずさわり、
蓮實重彦さんの門下からは、
多くの映画監督や作家、学者が出ています。

この記事は
蓮實重彦さんの
家族や家系に関係する事柄を、お話させていただきます。

スポンサーリンク

蓮實重彦のご先祖は栃木県の黒羽藩士

はじめに
蓮實重彦さんのご先祖についてです。

「蓮實さん」というのは、珍しい苗字ですね。

「蓮實」というのは「蓮実」の旧字体です。
記事によっては「蓮実重彦さん」と新字体で書かれているものもありますね。

なお、
埼玉県や東京都多摩地区には、
「蓮見さん」という苗字もあるようです。

蓮實重彦さんのご先祖は、
栃木県の黒羽藩士であらせられました。

黒羽藩は、
栃木県の北東部にあり、
那須高原の近くに本拠地を置いていました。

福島県や茨城県に近い場所にあります。

黒羽藩は
所領1万8千石ほどの、「外様大名」でありました。

蓮實重彦の曾祖父、蓮實啓之進氏

蓮實重彦さんのご先祖は、
古くから黒羽藩の家臣であったようです。

蓮實家は
黒羽藩の上級家臣であり、
祐筆(ゆうひつ)もつとめた家柄だといいます。

祐筆は
文書の作成や管理をおこなう役職でした。

蓮實重彦さんのご先祖は、
曾祖父にあたられます、
蓮實啓之進さまの時代に明治維新を迎え、士族となられました。

蓮實重彦さんの曾祖父様である、
蓮實啓之進さまは、
明治維新後、
地方の県庁の職員となられました。

栃木県庁ではなく、
各地の県庁にお勤めになられたようなので、
内務省の官吏だったのかもしれませんが、詳らかではありません。

蓮實重彦の祖父、蓮實鐵太郎氏は陸軍軍人

蓮實重彦さんのお祖父様のお名前は、
蓮實鐵太郎さま(新字体表記、蓮實鉄太郎さま)といいます。

蓮實鐵太郎さまは、
明治5年(1872)にお生まれになられました。

蓮實重彦さんのお祖父様、
蓮實鐵太郎さまは、
陸軍士官学校を卒業し陸軍の軍人になられました。
陸軍中佐で退役されています。

蓮實重彦さんの著書によれば、
日露戦争で戦果をあげたことを誇りにしていた、とあります。

蓮實鐵太郎さまは、
静岡俘虜収容所長をされていたので、
退役後もずっと
静岡市にご自宅を構えられていました。

蓮實重彦の祖母方の曾祖父・関義臣男爵

蓮實重彦さんのお祖母様のお名前は、
蓮實壽子さまといいます。

蓮實重彦さんのお祖母さまは、
旧福井藩士で海援隊士でもあった、
関義臣男爵のご長女にあたられます。

蓮實重彦さんの曾祖父にあたられる
関義臣男爵は
坂本龍馬の近くにいたほどの方でしたので、
新政府側の要職にありましたが、

出身の福井藩の中枢からは、
疎まれることも多く、
幽閉されてしまったこともあったそうです。

明治政府が成立し安定すると、
高官として遇せられ
大審院検事や徳島県知事、山形県知事、貴族院議員などを歴任し、
明治40年(1910)には、
日露戦争の功により男爵を叙爵され、華族となられています。

蓮實重彦さんの祖母方の曾祖父様は、
幕末から明治という激動の時代の有り様を、
体現するような方だったのですね。

蓮實重彦の父親、蓮實重康氏は美術学者

それから
蓮實重彦さんのお父上についてです。

蓮實重彦さんの父親のお名前は
蓮實重康さんといいます。

蓮實重康さんは、
明治37年(1904)年生まれ。
旧制静岡高校から京都帝国大学文学部に進学し、
日本美術を専攻しています。

蓮實重彦さんの父親、
蓮實重康さんは、
帝室博物館や奈良国立博物館に勤務していましたが、
1957年に京都大学に招かれ助教授に就任。
その後、京都大学教授に昇任し、退官後は東海大学教授となられました。

蓮實重彦さんといえば、
高身長で182センチもあると言われているようですが、
蓮實重彦さんの父親の
蓮實重康さんも高身長な方だったようです。

蓮實重彦の母親と、母方の祖父・小野八千雄氏

蓮實重彦さんのお母様のお名前は、
蓮實田鶴子さんといいます。

蓮實重彦さんの母親の方のご先祖は、
長野県上伊那郡小野村を発祥とします。

蓮實重彦さんも、
子供の頃に長野県の母方祖父のご実家に
疎開されていたようです。

蓮實重彦さんの母方の祖父は、
小野八千雄さまというお名前です。

小野八千雄さまは。
明治11年(1878)生まれ。
小野家は江戸時代には、町名主をつとめる家柄だったといいます。

小野八千雄さまは
長野県の中学校をご卒業されたのち、
宮内省に勤務され、
のちに内大臣秘書官になられています。

内大臣秘書官として
湯浅倉平や木戸幸一のもとで
職務にあたられていたようです。

蓮實重彦の妻、蓮實シャンタルさん

蓮實重彦さんの妻のお名前は、
蓮實シャンタル(Chantal)さん。

蓮實重彦さんの妻も
大学講師であり、
お茶の水女子大学でフランス語教師をされていたそうです。

蓮實重彦さんの妻は、
ベルギー出身の画家の娘さんです。

蓮實重彦さんが
フランス留学をされていらしたときに、
出会われたといいます。

蓮實重彦の子供は、作曲家・蓮實重臣さん

蓮實重彦さんの子供は、
息子さんがお一人です。

蓮實重臣さんというお名前です。
家族内ではOmi(オミ)と呼ばれていたようです。

蓮實重臣さんは、
学習院初等科、中等科、高等科を経て、
東京外国語大学モンゴル語科にご進学なされました。

作曲家として活動され、
映画音楽やCM音楽なども手がけられ「蓮実重臣」さんという表記で
ご活動されていらっしゃいました。

蓮實重臣さんは、
女優の、とよた真帆さんと小学校の同級生だそうです。

というわけで、
蓮實重彦さんの家系図やご家族に関係した事柄を、
お話させていただきました。

柄谷行人の父親、実家は柄谷工務店?子供は息子?妻や自宅は?

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする