石田純一の父親はアナウンサーで母親は?家族と家系図、先祖がすごい!

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kaboompics / Pixabay

石田純一の実家とファミリーヒストリー、父親はアナウンサー、祖父は新聞記者で、先祖の家系図は?

2015年1月16日に放送されたNHK総合テレビ『ファミリーヒストリー』では、タレント・石田純一さんの家系を扱っていました。
私は、石田純一さんの父親は、NHKのアナウンサーだったことは知っているのですが、その先祖についてはまったく知りません。
いつも通り、石田純一さんの家系を参考に、一般的な家系調査全般についても触れていこうと思います。

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石田純一さんの先祖は庄屋だった

石田純一さんの祖父・石田武太郎は、戸籍によると大阪府富田林市の出身のようです。
現在でも当地には、石田家の本家が残っています。
番組取材班は、石田家の本家を訪ね、ルーツについて聞き取り調査をおこないました。
すると、石田家の先祖は、石田重右衛門という紀州藩士で、大阪夏の陣のあと、紀州より派遣されて富田林の庄屋を務めたという伝承がありました。
なんと、この石田重右衛門を描いた掛け軸まで残っていました。

これはビックリですね。
こういったものは、まず残されていません。
本家にこれだけの情報が残っていたので、石田純一さんのルーツが一気に明らかになったというわけです。
このように江戸時代初期の先祖まで遡るのは、そう簡単にはいきません。
石田純一さんのようなケースは極めてまれなケースだと思われます。

参照リンク
本家宅への訪問調査

江戸時代初期の身分移動

石田家の先祖・石田重右衛門は、大阪夏の陣のあとに、紀州藩士から富田林の庄屋になったといいます。
武士から農民、という身分移動があったわけです。
こうした身分移動は、江戸時代初期にはよく見られます。
元武士が、庄屋になるというのは典型的なパターンです。

祖父・石田武太郎のファミリーヒストリー

石田純一さんの祖父・石田武太郎は、この石田家の分家の出身です。
明治23年(1890年)に生まれた武太郎は、大正元年(1912年)に上京し、早稲田大学政治経済学科に入学します。
武太郎は大学に入学すると、弁論活動に熱中します。

『早稲田大学100年史』には、石田武太郎の名が記されています。
早稲田といえば雄弁会が有名ですが、当時からこうした活動が盛んだったのでしょうね。
武太郎は、大学を出ると、中外商業新報(現在の日本経済新聞社)に入社します。
政治部に配属されます。
大正10年(1921年)、武太郎はワシントン会議の特派員に選ばれます。
ワシントン会議といえば、歴史の教科書にも出てきますね。
第一次大戦後におこなわれた軍縮会議です。当時の新聞には武太郎の名前も出ています。

古写真の調査から分かること

結局二年間に渡ってアメリカに駐在した武太郎でしたが、帰国すると、政治部長、編集局長と要職を務めます。
大正15年(1926年)、石田純一さんの父親・武が生まれます。
武太郎は、目黒に洋風建築の家を買い求めました。
当時、自宅前で撮った家族写真が現在も残っています。

実は、こうした写真を一枚見るだけでも、当時の石田家の暮らしぶりを知ることができます。
戦前の日本において洋風建築の住宅、あるいは和洋折衷の住宅に住んだのは、ごく一部の人たちで、普通の庶民には縁がありませんでした。
こちらの写真を一枚見るだけで、石田家が中産階級(ブルジョア)であったことが分かるのです。

参照記事
古い写真から、先祖を調べる方法

石田武太郎氏の自宅の場所は?

石田武太郎さんは、新聞記者としてそれなりの地位にあったようなので、
専門的な履歴調査をしてみました。
すると、やはり情報が得られました。

経歴については、
番組で調査したものと一致します。

そして、
目黒にあった自宅が具体的にどちらにあったのかは、
番組では触れられていませんでしたが、現在の大岡山にあったようです。

石田純一は政治家の家系?

しかしその後、石田家は没落してしまいます。
武太郎が会社を辞めて、立憲政友会から衆議院選挙に立候補したのです。
財産を選挙運動に費やし、財産を失ってしまったのです。
そして、その二年後、他界してしまいます。
石田純一さんの祖母・きよは、助産師の資格をとって、三人の子供たちを育てました。
生活が一変してしまった石田家のなかで、子どもたちは成長していきます。

父親・石田武のファミリーヒストリー

石田純一さんの父親である、石田武は、英語が得意な少年でした。
戦時下の日本では英語は「敵国語」とされていましたので、片身の狭い思いをしたこともあったようです。
武は、獣医をめざして昭和18年(1943年)麻布獣医専門学校(現在の麻布大学)に入学しました。
この学校の卒業生の多くは、陸軍獣医となります。

戦前の獣医という職業

現在だと、獣医というと、ペットのお医者さんといったような感覚で捉えられている方も多いと思います。
しかし、戦前の日本においては、農村部において牛や馬は労働力の担い手でした。
また、獣医の存在は、陸軍にとっても欠かせないものでした。
太平洋戦争において海を渡った動物たちは沢山います。

戦争が激しくなると、武は勤労動員に徴用されます。
そこで、のちに結婚することになる宮崎静枝と出会います。彼女こそ、のちの石田純一さんの母親となる人物です。

参照記事
獣医だった先祖の家系図作成調査

戦後、石田家のファミリーヒストリー

戦争が終わり、獣医学校を卒業した武でしたが、就職先がありませんでした。
復員した獣医が多くいたので、職にあぶれてしまったのです。
進駐軍のもとで馬の世話をするアルバイトをして糊口をしのぎます。
そんななか、武は、新聞に載っていたNHKのアナウンサーの募集広告を見ます。
これなら得意な英語を活かせるかもしれないと思ったのです。

昭和23年(1948年)に採用試験に合格し、アナウンサーとなります。そして、かねてより交際していた静枝と結婚しました。
そして昭和29年(1954年)二人のあいだに生まれたのが、石田純一さんです。

石田純一さんのファミリーヒストリーの感想

今回のファミリーヒストリーはかなり濃密な内容でした。
戦国時代や江戸時代の石田家のことをもっと調べても面白そうでしたが、時間の都合もあって、放送できなかったのでしょうね。

石田純一さんの家系は、充分名門家系といえるものと思います。
先祖は庄屋で、祖父は新聞社の局長、父はNHKアナウンサーという家系であれば、もっと本格的に調べればいろいろと出てくるでしょうね。

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