昭和天皇の家系図?子供の人数は何人?香淳皇后や娘さんの名前は?
昭和時代といえば、
「激動の昭和」という言葉で
語られることが多いですね。
64年間にわたる
昭和時代。
語りつくせないほどに、
いろいろな
出来事がありました。
昭和天皇は、
歴代天皇のなかで
最長の在位期間をほこりました。
この記事では
昭和天皇の
皇后陛下(妻)はどのようなお方か、
子供たちの人数は何人か、
娘さんと息子さんの構成といった、
家族構成や家系図に関することに、
焦点をあてて、
見ていきたいと思います。
昭和天皇の皇后(妻)の名前は?
それでは
昭和天皇の
皇后陛下(妻)について
見ていきましょう。
昭和天皇のお妃さま、
つまり、
昭和時代の皇后陛下ですが、
正式には
香淳皇后(こうじゅんこうごう)という
御名前で、
表記されるわけですが、
昭和時代には
皇后陛下、あるいは皇后さま、
というように呼ばれることが
一般的でした。
ただ、
実際には
良子(ながこ)さま、
というのが
ご本名にあたります。
香淳皇后(昭和天皇皇后)の家系図や両親は?父親や母親、兄弟と実家?
昭和天皇の妻【香淳皇后】の父親は?
昭和天皇の妻となる、
皇后陛下良子さまは、
明治36年(1903)のお生まれです。
父親は、
皇族の
久邇宮邦彦王(くにのみや・くによしおう)で、
ご長女にあたります。
昭和天皇の妻にあたる、
「香淳皇后」は、
97歳まで長生きされましたので、
平成時代になってからも、
ときおり、
ニュースや新聞などで
お見かけする機会が
あったのは、
記憶に新しいですね。
昭和天皇の子供たちの人数は何人?
そして
昭和天皇の
子供たちの人数は何人か
といった事について、
見ていきましょう。
昭和天皇の子供たちは、
息子さんは「親王」、
娘さんは「内親王」という、
呼び方をされます。
昭和天皇の子供たちの、
人数は7人で、
二男五女、
つまり、
2人の親王と、5人の内親王が
いらしたわけです。
昭和天皇の家系図と、ご家族の構成は?
それでは
昭和天皇の
子供たちについて、
兄弟を上から順番に、
どのような方たちなのか、
情報を
整理していきたいと思います。
昭和天皇の子供たちは、
このような
構成でいらっしゃいます。
長女:成子(しげこ)内親王(1923-1961)
東久邇宮盛厚王とご結婚次女:祐子内親王(1927-1928)
三女:和子内親王(1929-1989)
鷹司平通氏とご結婚四女:厚子(1931年生まれ)
池田隆政氏とご結婚長男:明仁親王(1933年生まれ)
【平成天皇】二男:正仁親王(1935年生まれ)
【常陸宮正仁さま】五女:貴子(1939年生まれ)
島津久永氏とご結婚
昭和天皇の娘さん、東久邇成子さま
それでは
昭和天皇と香淳皇后の
子供たちについて、
順番に
詳しく見ていきたいと思います。
昭和天皇と香淳皇后の
ご長女は、
成子(しげこ)さんというお名前です。
旧皇族の東久邇盛厚王(ひがしくにもりひろおう)と、
結婚しているので、
東久邇成子(ひがしくにしげこ)さま、
といいます。
昭和天皇のご長女、
東久邇成子さまの義理の父親(夫の父親)は、
終戦後総理大臣を
つとめた、
旧皇族の東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)元首相です。
東久邇成子さまは、
結婚して
子供たちにも恵まれたのですが
昭和36年に
わずか35歳で
なくなられてしまったのでした。
昭和天皇の二番目の娘さんは?
ついで
昭和天皇と香淳皇后には
娘さん(内親王)が
昭和2年に生まれていました。
お名前は
祐子(さちこ)さま、
といいます。
しかし、
昭和天皇の
二人目の娘さんとなる、
祐子さまは
生後間もなくして、
なくなってしまわれたのでした。
昭和天皇の娘さん、鷹司和子さま
それから
昭和天皇の
3番目の子供ということに
なりますが、
昭和4年に
和子内親王が
お生まれになられました。
和子内親王は
長じて
旧公爵家の
鷹司平通氏とご結婚されて
皇籍を離れ、
鷹司和子さん、
というお名前になられました。
鷹司和子さんは、
平成元年(1989年)に、
59歳で
なくなってしまったので、
昭和天皇の
子供たちのうち、
上の3人は、
早くなくなってしまった、
ということになります。
昭和天皇の娘さん、池田厚子さま
そして
昭和天皇の第四女子は、
昭和6年生まれの
厚子(あつこ)内親王でした。
厚子内親王は
旧岡山藩主で
元華族(侯爵家)の池田隆政さんと、
結婚されて、
皇籍離脱して、
池田厚子さん、
という名前になられました。
ここまで見てきたように
昭和天皇の子供たちは
上の4人が
娘さんだったので、
後継ぎとして
男子の誕生を期待する声が、
高まっていたなか、
昭和8年12月23日に、
昭和天皇と香淳皇后からみると、
ご長男にあたる、
明仁上皇(平成天皇)が、
お生まれになられました。
昭和天皇は4人の娘さんの後、2人の息子さんが…
その後、
昭和10年11月28日に
昭和天皇の
第二男子(次男)にあたる、
正仁親王が、
お生まれになります。
正仁親王は
結婚後、
常陸宮家を創設し、
「常陸宮正仁さま」の呼称で、
メディアでは
お見かけいたしますね。
当時のメディア報道だと、
4人の娘さん(内親王)に続いて、
2人の息子さん(親王)の
誕生がつづいた、
ということで、
皇室の将来は安泰だ、
といったことで、
報じられていたようです。
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昭和天皇の娘さん、“末っ子”の島津貴子さま
それで
昭和天皇と、香淳皇后の
「末っ子」ということに
なりますが、
昭和14年に
五女にあたる、
貴子内親王が
お生まれになられました。
貴子内親王は
旧佐土原藩主家(伯爵家)の、
島津久永氏と結婚されて、
島津貴子さま、
という名前に
なられています。
というわけで今回は、
昭和天皇の
皇后陛下はどのようなお方か、
子供たちの人数は何人か、
娘さんと息子さんの構成といった、
家族構成や家系図に関することを、
お送りしました。