夫婦養子・両養子
最も古い戸籍である明治19年式戸籍に見られる初めの先祖が、夫婦養子だったというケースを考えてみます。
夫婦養子とは、夫婦ともに養子になっているものを言います。
両養子とも言います。
具体例を示してみましょう。
先祖が夫婦養子の具体例から
明治19年式戸籍に、以下のような記載があったとします。
前戸主:中村利兵衛
戸主:
中村七右衛門
嘉永5年1月15日○○村 岩井七蔵三男入籍ス
妻:カメ
嘉永5年1月15日○○村 岡本忠兵衛長女入籍ス
七右衛門は岩井家から入籍、そして妻・カメも岡本家から入籍しています。
ということは、中村という苗字は、血縁上の先祖である七右衛門ともカメとも、本来関係ない苗字ということになります。
自分の苗字は、血縁上の先祖のものではない!?
先祖を調べていて、このような事が明らかになると、ある種のアイデンティティ・クライシスのようなものを感じることもあります。
生まれてからずっと名乗っていた苗字が、自分の血縁上の先祖に由来するものではないからです。
こちらの例でいえば、そもそも岩井姓のままで良かったのではないか、と思う方もいるでしょう。
また、中村家の先祖を代々祀っていることにも違和感を覚えるかもしれません。
しかし、こうした場合、自分が中村家の血を引いていない可能性は、低くないと考えられます。
江戸時代に見られる夫婦養子の場合、大半が以下のようなケースです。
夫婦養子の真相を探る
あるところに、中村利兵衛というお爺さんがいました。
中村利兵衛は、妻に先立たれ、子どももいませんでした。
このままでは中村家が絶えてしまう、と心配した彼は、後継ぎになってくれる適当なものはいないか探しました。
甥っ子の岩井七右衛門に話を持ちかけてみたところ、「自分が中村家を継ぐ」と言ってくれました。
早速、養子縁組の手続きをおこない、甥っ子と、甥っ子の妻の二人を、夫婦まとめて自分の養子にしたのです。
こうして、中村家は後継者を得て、存亡の危機を乗り越えたのです。
戸籍記載の裏側を調べる
これを戸籍で示すと、先ほどの記載になるというわけです。
戸籍上では、中村利兵衛と七右衛門は養父と養子という関係しか分かりません。
しかし、実際には伯父と甥という血縁関係があったわけです。
そうであれば、七右衛門の子孫は全員、中村家の血を引いていることになります。
先祖に両養子がいる場合には、他の親族関係にある家をあたることで、関係が見えてくることが多いです。
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