フランスの貴族制から日本の貴族制を考える
フランス革命と、明治維新は大きく異なっているので、比較研究されることは少ないですが、封建時代の身分構成割合を考える過程で、気になったので調べてみました。
フランス革命前の身分別構成割合をまとめてみましょう。
第一身分・聖職者 14万人(人口比、0.5パーセント)
第二身分・貴族 40万人(人口比、1.5パーセント)
第三身分・平民 2600万人(人口比、98パーセント)
身分別に見るとこのような比率になっています。
聖職者や貴族が富の多くを持ち、しかも税金も払わなかったのですから、民衆の怒りは当然ですね。
江戸時代の身分別構成割合
これを江戸時代の社会階層の分析に当てはめてみましょう。
明治5年の壬申戸籍を参照すると、フランス社会における三つの身分(聖職者・貴族・平民)は以下の構成割合となっています。
第一身分・聖職者
僧侶(人口比、0.6パーセント)
神官(人口比、0.3パーセント)
第二身分・貴族
華族(人口比、0.01パーセント)
第三身分・平民
平民(人口比、93パーセント)
その他
士族(人口比、4パーセント)
卒族(人口比、2パーセント)
フランスと日本、身分割合の比較
フランス革命当時のフランス社会と、明治初期の日本の身分別構成割合を見て目につくのは、日本において貴族が極めて少なかった点です。
明治初期に華族になったのは、大名や公卿といった特権的な人たちです。
一般の武士は、華族ではなく、士族や卒族になっています。
参照記事
戸籍にみられる族称・族籍とは
上級武士は貴族に相当するものか?
日本社会における貴族の少なさは、当時のフランス社会に比べて、平等で同質的な社会だったと結論づけられるのでしょうか。
あるいは、フランス社会において、貴族として扱われた身分が、他の身分として扱われていたと解することも可能のように思えます。
人口割合から言えば、江戸時代の上級武士(目安として禄高100石取り以上)と、それ以下の中級武士をいくらか加えたくらいが、割合的にはフランス貴族として相当するものと言えるでしょう。