身分制度としての士農工商はなかった

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InspiredImages / Pixabay

士農工商

昔は、「士農工商」というのを学校の教科書で習いました。
私も小学4年生くらいの頃に、塾で習いました。
その後、小学5年生か6年生になった頃にも同じことを習いました。
教師が言うには、「士農工商は身分序列であった」というのです。

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士農工商はなかった

実はこの「士農工商」というのは、最先端の研究では真っ向から否定されています。
確かに江戸時代に身分制度があったのは事実です。
徳川将軍家を中心とする武士が支配階級であったのは確かですが、「農工商」のあいだに身分序列はありませんでした。

そもそも、当時の感覚から言って「工商」と分けているのも違和感があります。
当時は、「工商」をまとめて「町人」というくくりで捉えていました。

「村方」と「町方」

「農工商」といった分類をするのではなく、「村方(むらかた)」と「町方(まちかた)」に分類するほうが、正確だと思います。
「村方」は農村漁村部、「町方」は都市部です。
「村方」と「町方」では、支配の構造自体が異なっていました。

学校の日本史の教科書では、「士農工商」が教えられて、こういった「村方」と「町方」の区別については、触れられなかったと記憶しています。
実際に、家系図作成の調査においては、「村方」か「町方」かというのは、調査を進める上で区別する必要もあるので、注意したい点です。

武士は貧しかった

武士が裕福だったかというと、そうでもありません。
一部の上級武士たちは、一般の農民よりかは豊かだったようですが、下級武士ともなると、貧しい暮らしをしていたようです。

武士よりも豊かな町人や農民は、たくさんいました。
江戸時代は、圧倒的な勝ち組を作らないシステムがうまく機能して、263年にも及ぶ統治を可能にしたのだと思います。

江戸時代を通じて、武士の地位は低下する

江戸時代を通じて、武士の生活は苦しくなるばかりでした。
その一方で、農民や町人は、技術革新があったので生産力を上げ、暮らしぶりは向上していきました。

武士が町人に借金をしているケースがよく見られます。
また、自らの支配地の農民から、お金を借りることもありました。
農民たちは、もしも武士の返済が滞った場合には、年貢を払わずに、借金の返済に充当できたといいます。
実際に、こうなってしまうと武士の面目は丸つぶれです。

家系調査には正しい歴史理解を

このように見ると、「士農工商」だといって、武士が威張っていたというのは、正しい理解ではないように思えますね。

家系調査をしていて、先祖が武士かどうか気にする人も結構いるのですが、身分制度自体がナンセンスなものだったのは言うまでもない事です。
家系調査には、正しい歴史理解が大切です。

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