明治日本の藩閥支配の移り変わりと、山縣有朋と統帥権独立の問題

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jplenio / Pixabay

長州藩と薩摩藩による陸軍と海軍の派閥の問題と、山縣有朋が作った統帥権独立をめぐる問題とは?

明治時代から大正時代の藩閥支配は有名ですが、

どのような移り変わりがあるのでしょうか。

西郷隆盛による西南戦争と、

大久保利通の支配が終わったあとは、長州閥の時代になりました。

伊藤博文と山縣有朋の時代です。

これくらいから、

陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥という勢力図が鮮明になりました。

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明治初期の日本は、陸軍よりも海軍を優先していた

明治政府は当初、

陸軍と海軍は、どちらかというと海軍のほうに重きをおいていました。

その理由は

日本は海洋国家であるということであり、

外国の勢力がはいってくることを恐れていたからで、

外国に植民地をつくることまでは、まだ想定していなかったからです。

台湾出兵から、陸軍の力が高まり、統帥権が独立する

しかし台湾出兵があった1874年くらいから、

海外に植民地を作るという構想が持ち上がるようになり、

そのなかで陸軍勢力を牛耳ることになった

山縣有朋によって、陸軍と海軍の力関係が変わってきました。

山縣有朋は、統帥権を政治とは独立させる形で、

軍隊を政治の支配の及ばないものにしたのでした。

のちに、統帥権をめぐる問題が出てきますが、

それはこれくらいの時代から、出てきたものなのでした。

統帥権独立をめぐる問題は、のちに政党政治の時代を終わらせた

統帥権をめぐる問題は、

濱口雄幸内閣がすすめたロンドン海軍軍縮条約で大きく話題となりました。

濱口内閣、犬養内閣と続いて、

斎藤実内閣以降は事実上、政党政治・議会政治の時代は終わって、

陸軍と海軍勢力と、それに協力する革新官僚が支配する時代へと移っていきますが、

それには統帥権独立の問題をはらんでいるのです。

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