内務省は戦前に特権的な官庁ではなかったという意外な事実

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cocoparisienne / Pixabay

内務省は明治大正昭和戦前の特権的な官庁ではなかったのではないかという考察

内務省は明治時代から終戦直後まで存在した

中央官庁であり、

官庁のなかの官庁といわれ、

地方の知事ポストをおさえ、

さらに警察権力も掌握していたことで、

数ある官庁のなかでも、

特に強大な権力を持っていたと言われています。

しかし、

内務省が他官庁に比べて特権的な地位にあり、

内務官僚たちが他省庁の官僚にくらべて、

抜群のエリートだったのかというと、そうではないのではないかと思える部分があります。

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内務省には東大や高文の成績優秀者が多く集まっていた

たしかに、

内務省は明治時代には官庁のなかでも、

特にエリートが集まる官庁だったようです。

東京帝国大学法学部から高等文官試験に合格して、

官僚になるものが、一番のエリートコースといわれていた時代でしたが、

東大および、高文の成績優秀者は、

内務省に入ることが多かったのは事実です。

大正時代以降になると、大蔵省や外務省、逓信省や農商務省が台頭してくる

しかし、

こうした様相は大正時代から昭和初期になると

変わってきています。

内務省よりも大蔵省や外務省、

あるいは農商務省や逓信省といった官庁に成績優秀者が入ることも

よく見られるようになりました。

官庁間での力関係が変わったのかもしれません。

内務省の人事は、政党政治の到来によって、政権から影響を受けるようになった

よく言われているのは、

内務官僚が着任する知事ポストや、

県の部長クラスといった要職が、

政友会と民政党という二大政党を軸とした政党政治の時代になるにつれ、

政権政党の意向を受けて、

人事に影響を与えるようになったのが、

成績優秀者の入省先として、内務省が敬遠されるようになったと言われています。

内務省出身の総理大臣は中曽根康弘総理だけ

これは意外な事実なのですが、

歴代の総理大臣には官僚出身者が多くいますが、

実は内務省の出身者は、

昭和後期に総理をつとめた中曽根康弘総理のみです。

内務省が強大な権力を持っていたといわれる、

戦前には一人の総理大臣も、内務省は輩出していません。

外務省や大蔵省出身の総理は複数いるものの、

内務省出身の総理大臣はいなかったのです。

これは、内務省が一般に言われているほどに、他官庁を圧倒していた、というわけではなかったことを示しているのではないでしょうか。

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