足軽の身分
武士の階級において、いわゆる「下級武士」とされたのは、足軽(あしがる)です。
・足軽は、武士としての家格を持たなかった
・したがって、明治維新後は平民になった
というような情報が、広く一般に流布されております。
また、足軽は武士としての家格を持っていたとか、世襲のもののみ士族だったという話もあります。
足軽が武士身分であったのか、それとも武家奉公人という、武士としては見なされない身分だったのかは、藩によって異なってきます。
そして、明治維新を経て、士族になったのかどうかについても、それぞれの藩によって、異なってきます。
足軽と族称をめぐる質問と回答
しかし、私がこれまで調査してきた限りにおいては、多くの足軽は士族になっていると言えます。
こちらの記事では、足軽身分についての質問と回答をまとめてみました。
どれも具体的な事例ですが、武士の子孫で、家系図を作成されている方には、有用な情報となるものと思われますので、是非、参考になさってください。
足軽は士族か平民か?
Q、
私の先祖は、下級武士で足軽だったといいます。
足軽について調べてみると、そもそも士分ではなく、明治維新後の戸籍記載では「平民」になったという記載を目にしました。
しかし、「我が家の先祖は、士族だった」と親戚の伯父は言っておりました。
実際のところ、どうだったのでしょうか?
A、
足軽の扱いは、各藩によってかなり異なります。
士分であることもあれば、そうでないこともありました。
士分ではなかった足軽は、明治3年(1890)に「卒族」となり、士族の下位に、位置づけられました。
しかし、明治5年(1892)に卒族の族称は廃止されて、足軽身分を世襲していたものは士族に、一代限りのものは平民に編入されました。
以上を考えますと、明治維新後に士族になった、というお話は本当だと思います。
世襲されたものと一代限りのもの
Q、
先祖が足軽だったことが分かりました。
分限帳を調べたら、先祖の名前がみつかったのです。
江戸時代、諸藩の藩士が作成したという、家系図は残っていませんでした。
したがって、先祖代々、足軽であったのかどうかは、よく分かりません。
代々、武士の家系であったのかどうか見当をつけたいのです。
そこで、質問です。
一般的に、足軽のうち、世襲のものと一代限りのものは、どちらの方が多かったのですか?
A、
足軽が明治3年(1870年)に卒族とされたのは、先ほど見たとおりです。
卒族は明治5年(1872年)に、世襲のものと一代限りのものに分けられ、前者を士族に、後者を平民に編入されました。
その際に、卒族のうちの8割以上は、士族に編入されております。
このデータから考えると、幕末時点の足軽のうちの大半は、世襲された身分であったことが分かると思います。
したがいまして、質問者様のご先祖が足軽でいらしたのならば、8割以上の確率で、世襲された武士の家系だったと言えることができます。