武家奉公人という身分

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kamodayz / Pixabay

武家奉公人は武士ではない

江戸時代には、武家奉公人という身分がありました。
武士に仕える使用人のことです。
若党(わかとう)・中間(ちゅうげん)・小者(こもの)などと呼称されました。

基本的に、武家奉公人は、武士身分ではありません。
武士と庶民のあいだの身分とされております。

とはいうものの、地域によっては、若党(わかとう)についてのみ、武士身分であったところもあります。
武家奉公人については、これまでに、それほど多くの研究がなされておらず、謎の部分があり、はっきりと断言しかねる部分が多いです。

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武家奉公人は一代限りの身分

武家奉公人は、基本的に一代限りの身分でした。
主に、農家の二男・三男などが、やってきます。
江戸時代の農家の二男・三男は、養子に行く先がなければ、奉公に出ることが一般的でした。
そして、城下の武士に厄介になるのです。

武家奉公人は、原則として苗字を公称することは、許されませんでした。

中間(ちゅうげん)、小者(こもの)とは

しかし、中間(ちゅうげん)のなかには世襲するものや、苗字を公称するものもいました。
また、中間であるにもかかわらず、働き次第で、武士に昇格したケースも見られます。

したがって、中間という身分について、一様に語ることはできません。
時代や地域によって、実態はだいぶ異なっております。
中間の仕事は、主人の付き人を務めたり、お使いにでかけたり、草履取りをしたりといったことです。

小者(こもの)は、武家奉公人のなかでも下層の身分です。
雑用係と理解されてよいと思います。
中間のなかには、武士と見分けがつきにくい存在もいたのに対し、小者については完全に武士ではありません。

武家奉公人は士族か、平民か?

これらの武家奉公人は、明治維新後には平民となりました。しかし、なかには士族になった例も見られます。

家系調査をしていて、「ご先祖は武士だった」という言い伝えがあるにも関わらず、分限帳を見ても先祖らしき人物が見当たらないというケースもあります。

そういった場合には、ひょっとしたらご先祖は武家奉公人ではなかったのか、という視点をまじえて考察すると、家系への理解が深まるのではないかと思います。

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