江戸時代の武士という身分

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hannahlouise123 / Pixabay

武士間における身分制度とは

「武士」という言葉は、歴史に興味を持っていなくても誰でも知っている言葉です。
しかし、「武士とは何か?」と問われたときに、正確に回答できる人は、それほど多くないと思われます。
このように、普段何気なく用いている言葉であっても、定義が曖昧なまま使っていることはよくあります。

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「武士」という言葉の定義

家系図作成や先祖調査において、「武士」という言葉を用いる際に問題となるのは、「武士」という身分の定義だと思います。
先祖が「武士」だったのかどうかという事を、知りたい方は多くいます。
そうした際に「武士」という言葉の定義が曖昧だと、自分の先祖が「武士」だったのかどうか分からなくなってしまいますね。

「侍」・「徒士」・「足軽」

しかし、困ったことに「武士」の定義は、かなり分かりづらいです。
一般的に武士は、以下の身分に分けられます。
・侍
・徒士
・足軽
「侍」は、上級の武士を示します。
騎乗を許され、主君に対する「お目見え」の権利があります。
「お目見え」とは、主君に拝謁する権利のことです。

これに比較して、「徒士」は、騎乗が認められず、「お目見え」の権利も持ちません。
この二つの身分は、間違いなく「武士」です。

しかし、上記の身分では最も下級である「足軽」については、本来は「武士」の資格を持たなかったものなのです。

「足軽」は「武士」ではない?

現代人からすれば、城下町の武家屋敷に住んで、苗字を名乗れる「足軽」は、「武士」以外の何物でもないと考えられると思います。

武士の資格のことを「士分」といいますが、「足軽」は、「士分」ではなく、「卒」とされます。
つまり、「足軽」は「武士」ではないということになります。

しかし、「足軽」は明治時代初期に「卒族」になり、その後多くは「士族」に編入されています。
こうした歴史を見ると「足軽」は「武士」ではないが、「士族」になったということになります。

ただ、「足軽」という身分は、諸藩において処遇がかなり異なっていました。
したがって、一様に「足軽」という身分を語ることはできません。

ここまで読んでみて、とても分かりにくいと感じておられる方は多いと思います。
事実、これはとても分かりにくいものなんです。

参照記事
足軽は士族なのか?

家系図作成では大まかな理解を

しかし、家系図作成・先祖調査といった観点からいえば、「足軽」が「武士」だったのかどうかは、まったくこだわらないほうが良いといえます。

先祖調査においては、「足軽」は「武士」であると定義しましょう。
というのは「足軽」の先祖を調べるには、「侍」や「徒士」の先祖を調べるのと、同じ手順で進めることになるからです。
先祖を調べる際には、「武士」・「百姓」・「町人」というような身分の区分によって、方法が異なってきます。
ここに「足軽」という身分をもうけて、「武士の先祖の調べ方」と別に「足軽の先祖の調べ方」というのをもうけるのは、まったく意味がないのです。
そんなことをするよりかは、家系図作成においては、「足軽」は明確に「武士」として扱ったほうが、便宜的です。

武士の身分についての正確な理解を心掛けるのは、歴史研究の上では必要ですが、家系図作成の知識としては、大まかな理解で充分ですし、かえって混乱してしまいます。

武家奉公人について

また、武士と似たような身分に、武家奉公人というのがあります。
武家奉公人は、雑用係のようなもので、原則的に武士ではありません。
しかし、これも難しいところで、武家奉公人のなかにも「武士」として処遇されたり、明治維新後に「士族」になっているケースもあります。
これも、分かりにくいのです。

こうした細かい点については、先祖調査をする上では、あまり深入りしないほうが良いかもしれません。

関連記事
江戸時代における武士の階級
武家奉公人という身分

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