江戸時代の武士の家督相続

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ftanuki / Pixabay

武士は単独相続だった

江戸時代の武士の家督相続について見ていきましょう。
江戸時代においては、単独相続が基本です。
嫡男(ちゃくなん)とそれ以外では、待遇がまったく違います。
嫡男とは、家の後継ぎのことを示す言葉です。

例えば、父が100石取りの藩士だった場合を考えてみます。
三人の息子がいたとしましょう。
そうした場合、現在のように、3分の1ずつ分割して相続されることは、ありません。
家督も、財産もすべて一人が単独相続します。

嫡男が家を継ぎ、残りの二人の男子には、ビタ一文与えられません。
嫡男は、基本的に長男ですが、何らかの事情で長男が不適格とされた場合には、二男や三男が嫡男となる場合もあります。

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武士の二男・三男の生き方

それでは、家督相続できなかった男子たちは、どうなるのでしょうか?
他家に養子に行くか、僧侶になるか、あるいは一生、兄の扶養家族として生きていくことになります。

分家して、禄を与えられ藩士として仕えることもありましたが、こうしたケースは、あまりなかったようです。

藩としても、食い扶持が用意できないので、武士の数を制限せざるを得なかったのです。

養子先には、どういった身分の家が選ばれたか

養子に行く際には、多くの場合、家格の釣り合う武士の家が対象となります。
そうでなければ、神主や医者、あるいは富裕な農民や町人などの家に、養子入りすることもありました。

江戸時代においては、身分制度が厳然と存在していたといいますが、実際には身分を越えた養子縁組や通婚も見られたのです。

部屋住みとは

養子の受け入れ先がない男子は、一生独身のまま、実家に扶養されることになります。
こうした身分を「部屋住み(へやずみ)」と言います。

部屋住みの身分であっても、もしも当主に何らかの事態が生じた場合には、跡を継いで、代わりに当主になる場合もあります。
いざというときには、こうした嫡男以外のものが家督を継承して、「家」の維持をはかったのです。

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