三菱財閥と三井財閥の違いは?早稲田と慶應の学閥の関係と大隈重信!政友会と民政党との関係は?
三菱財閥と三井財閥、
どちらも日本を代表する大財閥であり、
現在でも三菱グループや三井グループといえば、あらゆる業界にグループ企業がありますね。
三菱財閥と三井財閥は、名前は似てるのですが、実はかなり違いがあります。
三菱財閥と三井財閥の違いについて、見ていきましょう。
三菱財閥は、岩崎弥太郎の新興財閥
三菱財閥の創設者は、岩崎弥太郎です。
岩崎弥太郎は土佐国の下級武士(郷士)の家系に生まれた人で、
一代で大財閥を構築しました。
三菱財閥は新興財閥であり、その歴史は明治時代からなのですね。
三井財閥は、江戸時代から大財閥だった
それと比べ、三井財閥の歴史は長いです。
三井財閥は江戸時代には、豪商として知られ、
すでに財閥といってよいほどの資産家でした。
明治時代以降も日本を代表する大財閥であり、
本家の当主、三井八郎右衛門は日本でもトップクラスの資産を持っていました。
三菱財閥と三井財閥は、歴史を見ると、
三井財閥のほうがはるかに長い歴史があるのですね。
三菱財閥は大隈重信と民政党、早稲田大学という関係がある!
三菱財閥の岩崎弥太郎は大隈重信と親しい関係にありました。
そうしたこともあって、
三菱財閥は、大隈重信系の政治勢力と関係が深いです。
憲政会、その後身の民政党は三菱財閥との関係が深いと言われています。
また、
大隈重信が創設した早稲田大学の出身者が、
三菱財閥では重用されました。
現在は、三菱財閥も慶應出身者が多く、
慶應系と見られる事が多いですが、戦前においては、どちらかというと、早稲田閥の会社でした。
三井財閥は、慶應閥の財閥
三井財閥は、
政友会との関係が深かったようです。
そして学閥という事で見ると、
慶應出身者が幅を利かせていました。
現在でも、三井グループの関連企業ですと、
三菱財閥と三井財閥の違いは?
ざっくり分けてみると、こういった感じになるわけですね。
三菱は新興。三井は老舗。
三菱は民政党。三井は政友会。
三菱は早稲田。三井は慶應。
戦後になると、三菱財閥と三井財閥の違いも、だいぶ薄れていきますので、
現在ですと、三菱と三井の違いといっても、そんなにないかもしれません。