戦前の高級官僚の出世とは?判任官・奏任官・勅任官・親任官

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Pexels / Pixabay

戦前の高級官僚の出世と高等文官試験や、高等官制度について

戦前の高級官僚の出世についてです。

高等文官試験合格者は大正時代に200人くらいと、

非常に狭き門であり、科挙試験のような難関でした。
高文合格者は、それぞれ希望の官庁に入省し、いろんな部署に配属が決まります。
大臣官房の配属されると出世コース、地方配属だと傍流コース、といったような感じで、高文の成績によって決まる配属先は、その後の出世に大きな影響を与えました。

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判任官からスタート

高文合格の入省者たちは、将来の幹部候補です。

入省直後の身分は判任官という身分であり、軍隊でいえば下士官、大学でいえば講師や助手に相当します。

高級官僚たちの、いわば下積み期間なのですが、この期間も時代ごとに短かったり長かったりします。

また、同じ時代でも省庁によって、下積み期間の短い官庁と長い官庁がありました。

奏任官となり、名実ともに高級官僚に

こうした期間をへて、晴れて高等官となり、名実ともに高級官僚の仲間入りをします。高等官は、軍隊でいえば将校、大学でいえば教授、助教授に相当します。

高等官をさらに細かく分けると、親任官、勅任官、奏任官となります。親任官は別格で大臣クラス。勅任官は高等菅1等と2等。高等菅3等から8等までは奏任官です。
高等菅7等か8等にはじめは任官し、高級官僚としてスタートです。
当然、はじめは本省であれば課長の補佐役とか、地方局の係長や課長などをいくつも経験し、だんだんと出世していきます。

高等官4等で書記官となり、高等官2等で局長に

高等官4等くらいになると、書記官という官職になり、課長職に任命されるようになります。軍隊でいえば中佐クラスでし。

その後、高等菅2等までいくと、局長になり、高級官僚としてはほぼゴールの役職につきます。そのなかで最も出世したものが次官となるのでした。

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