伝統的な名門校、お嬢様学校とは

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ArtsyBee / Pixabay

戦前のお嬢様学校

現在でも「お嬢様学校」と言われる学校がありますね。
近年のNHK連続テレビ小説『花子とアン』では、戦前のお嬢様学校の光景が描かれていました。
モデルとなったのは、東洋英和女学院です。
戦前の「お嬢様学校」とは、どのような学校があったのでしょうか。
斎藤美奈子さんの著書『モダンガール論』を参考に、まとめてみました。

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日本女子大学校

現在でも目白にある、日本女子大学の前身です。
戦前には、女子が進学できる高等教育機関は少なかったので、日本女子大に進学する女性は、お嬢様のなかでも、特に向学心のある方でした。
日本女子大学は、「大学」とは名乗っていますが、正式な大学令に基づく大学ではなく、専門学校令に基づく「専門学校」でした。

女子学習院

現在でも皇族の学校として知られる学習院です。
戦前は、華族や軍人の子女が多く通っていました。
皇族・華族なら無試験で入れたという事情もあって、学力的には、名門女子校のなかでは下位に甘んじていた、という情報もあります。

東京女学館

東京・広尾にある、お嬢様学校として現在でも有名です。
戦前には、豪商の子女が多く通ったといいます。
派手で、おしゃれな生徒が多かったようです。

東京府立第一高等女学校

元浅草にある都立白鷗高校の前身です。
こちらは、公立の学校でした。
東京中から才媛が集まり、名門高等女学校として知られていました。
官僚や大学教授などの子女が多く通っていました。

東京女子高等師範学校

お茶の水女子大の前身です。
こちらは、官立(国立)の学校です。
戦前において、女子教育の最高峰と称される学校です。
東京女子高等師範学校を卒業して、女学校の教諭になるというのが、当時の女子のエリートコースでした。

その他にも、聖心女子学院、雙葉高女、白百合高女、三輪田高女などが、お嬢様学校として有名でした。
戦前であれば、もっとも高かった昭和初期の段階でさえ、高等女学校の進学率は20%くらいなので、その中において、こうした女学校に学んだ女性は、極めて恵まれた環境に育った方と言えるのではないでしょうか。

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