木戸孝允の子孫の現在と家系図!妻と子供?孫は木戸幸一で林芳正と親戚

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0
スポンサーリンク

lizbetpalmer / Pixabay

木戸孝允(桂小五郎)と孫、木戸幸一の家系図と子孫の現在は?妻は?子供は息子?娘?先祖や父親は?林芳正と親戚!

木戸孝允(きどたかよし)。

長州藩士であり、
倒幕に向けて、
幕末の長州藩のなかでも、中心的な役割を担いました。

木戸孝允といえば、
桂小五郎や木戸貫治、木戸準一郎など、
いろんな名前を名乗っていたことでも有名ですね。

また、
木戸孝允の子孫には、
太平洋戦争時の内大臣で
昭和天皇の側近だった、
木戸幸一がいることでも、

木戸家は歴史的な関心を集めています。

この記事では
木戸孝允(桂小五郎)の父親と母親、妻や子供と孫、
木戸幸一の子孫の現在について記してみます。

スポンサーリンク

木戸孝允(桂小五郎)の父親は?先祖は毛利元就?

木戸孝允は、
長州藩医師の和田昌景の長男として、
現在の山口県萩市に生まれています。

和田家は、
毛利元就の七男にあたる天野元政の子孫と言われています。

木戸孝允は、
7歳の時に
同じく長州藩士の桂孝吉の養子となり、
90石の禄高を得ています。

木戸孝允の家系は、
武士としては上級武士といっても差支えない家柄でした。

木戸孝允は、
桂小五郎や木戸寛治や木戸準一郎など、
何度も名前を変えていますが、

木戸孝允と名乗るようになったのは
慶應2年のことで、
これは藩主の毛利敬親から、たまわった苗字なのでした。

木戸孝允(桂小五郎)の妻と子供、家族構成は?

木戸孝允の妻や子供、家族構成についてです。

木戸孝允の妻は、
木戸松子という名前でした。

木戸孝允の妻の松子は
長州藩士の家系ではなくて、
現在の福井県である若狭小浜藩士の木崎市兵衛の娘でした。

木戸孝允の子供は1人いて、
娘さんでした。

木戸孝允は、実子が少なったので
養子を多くとっています。

木戸孝允(桂小五郎)の家系図

木戸孝允 1833-1877
旧長州藩士
内閣顧問

妻:木戸松子
木咲市兵衛二女、岡部利済養女

長女:木戸好子

養子:木戸孝政
和田正寛三男

養子:木戸忠太郎
明治4、土佐藩士、松本順造の息子
満鉄勤務

養子:木戸正二郎(後継者)

養女:木戸英子
韮山代官、江川英龍の娘
河瀬真孝子爵と結婚

木戸孝允(桂小五郎)の甥、木戸正二郎が木戸侯爵家の初代に

木戸孝允の後継者は、
木戸正二郎でした。

木戸正二郎の
父親は長州藩士の来原良蔵で、母親は木戸孝允の妹の治子でした。
ベルリン大学に留学して兵学校で学んでいました。

木戸正二郎は
養父である木戸孝允の功績から
侯爵を叙爵して、木戸侯爵家の初代となりますが、
24歳で早世し、
木戸侯爵家は、後継者をまた探すことになりました。

木戸孝允(桂小五郎)の娘の代で、直系子孫は途絶えた

そして、
木戸侯爵家の2代目となったのが、
木戸正二郎の兄である、
木戸孝正でした。

木戸家に養子入籍して、
木戸孝允の娘、好子と結婚します。

しかし、
木戸孝正の妻となった、
木戸孝允の娘である好子は、
18歳で早世してしまったので、

後妻として
山尾庸三の娘、寿栄子を迎えており、
子孫を残しました。

つまり、
木戸孝允の直系子孫は
娘の代で途切れてしまい、

木戸家の子孫は、
木戸孝允の妹の子孫によって、
受けつがれていくことになりました。

木戸孝正は妹の夫である、
来原良蔵の長男あたり、
木戸孝允の甥にあたる人です。

木戸孝允(桂小五郎)の娘婿・木戸孝正の家系図

木戸孝正 1857-1917
来原良蔵長男(木戸孝允の妹の息子)
米国留学
帝国大学出身
東宮侍従長、宮中顧問官
侯爵

妻:木戸好子
明治2、木戸孝允長女

妻:木戸寿栄
明治4、子爵山尾庸三の長女

男:木戸幸一(後継者)

男:木戸小六
明治23
和田家に養子入り
東大造船学科卒
東大教授、
東工大学長

女:木戸治子
明治24
山口、時乗寿と結婚

女・木戸八重子
明治26
陸軍大将 児玉源太郎四男、陸軍航空兵大佐、児玉常雄と結婚

※家系図は敬称略

木戸孝正の子供は、すべて後妻の子供です。

木戸孝允(桂小五郎)の子孫は、山尾庸三や児玉源太郎と親戚になる

木戸孝正の家系図を見ると、
長州系の政治家や軍人の家系との結びつきが分かりますね。

木戸孝正の妻は、
維新で活躍し、明治時代の行政で活躍した、
山尾庸三の娘ですし、

木戸孝正の娘は、
陸軍大将、児玉源太郎の息子、児玉常雄と結婚しています。

木戸孝允(桂小五郎)の養孫が、内大臣の木戸幸一

それから
木戸孝允の子孫の家系図ですが、
木戸孝允の孫の代(厳密には養子の息子)を見ていきます。

木戸孝允の養子である、
木戸孝正の息子は、
木戸幸一という名前です。

木戸孝允の妹の孫にあたります。

木戸幸一は、
第二次戦中の内大臣をつとめていまして、昭和天皇の側近でした。

木戸幸一については、
木戸幸一日記という本が、有名ですね。

木戸孝允(桂小五郎)の養孫、木戸幸一の家系図

木戸幸一の家系図を見ていきましょう。

木戸幸一 1889-1977
明治22、木戸孝正長男
大正6、襲爵
京大政治科卒
文部大臣、厚生大臣、内務大臣、内大臣を歴任
侯爵

妻:木戸ツル
明治29、陸軍大将、児玉源太郎四女
学習院女学部出身

長女:木戸由香子
大正8、元首相・阿部信行長男、信男と結婚

長男:木戸孝澄(後継者)

二女:木戸笑子
大正10
女子学習院出身
樋口周雄と結婚

二男:木戸孝彦(後述)

三女:木戸和子
大正15
女子学習院出身
女官長
日本銀行総裁、井上準之助の五男、五郎に嫁す

※ 家系図は敬称略

木戸幸一の家系図は、井上準之助や阿部信行と親戚になる

木戸孝允の子孫の、
木戸幸一の家系図ですが、
妻は児玉源太郎大将の娘で、

長女は、
総理大臣を務めた陸軍大将の阿部信行の息子と結婚しています。

そして
木戸幸一の三女は、
浜口雄幸内閣の金解禁をすすめたことで有名な、
井上準之助の息子と結婚しています。

木戸孝允(桂小五郎)の子孫の現在は?旧皇族とも親戚!

木戸孝允の子孫の現在を見ていきたいと思います。

木戸孝允の養孫である木戸幸一の長男は、
木戸孝澄さんです。

木戸孝澄さんの妻は、
小松輝久侯爵の娘さんです。

小松照久侯爵は、
旧皇族の北白川宮能久親王の四男ですので、

木戸孝允の子孫は、
旧皇族とも家系図がつながっているのです。

木戸孝澄さん
1917 木戸幸一長男
東北大法文卒
日銀勤務
日本勧業角丸証券常務

妻:木戸舒子さん
1923 侯爵小松輝久の長女

娘:木戸松子さん
1943
浜本康也さんと結婚

娘:木戸良子さん
1944
尾崎広敏さんと結婚

娘:木戸久子さん
1947
村上義雅さんと結婚

木戸孝允(桂小五郎)の子孫の家系図は、林芳正外相とも親戚!

それから、
木戸孝允の養孫、
木戸幸一の二男、木戸孝彦さんの妻や子供についての家系図です。

木戸孝彦さん
1923 木戸幸一二男
東大政治科卒
弁護士
富士ゼロックス取締役

妻:木戸美枝子さん
1927 旭硝子監査役・林田敏義さんの二女

養子:木戸武さん
1941 宇部興産副社長、俵田寛夫さん三男
日本軽金属工業勤務

娘:木戸知子さん
1947木戸武さんの妻

娘:木戸由美子さん
外務省勤務・大久保基と結婚

娘:木戸真紀子さん

木戸幸一さんの二男の
木戸孝彦さんは弁護士でした。

木戸孝彦さんの婿養子の、
木戸武さんは、
宇部興産副社長の俵田寛夫さんの娘にあたります。

木戸武さんの姉は、
元大蔵大臣の林義郎さんと結婚していて、
林義郎さんの息子が、林芳正外務大臣です。

木戸孝允の子孫は、
林芳正外務大臣の家系図ともつながり、
かなり近い親戚同士ということになりますね。

というわけで、
木戸孝允(桂小五郎)の父親と母親、妻や子供と孫、
木戸幸一の子孫の現在について記してみました。

林芳正の妻と派閥は?家族と家系図は?子供は?父親は?実家は山口県?

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする