小松宮彰仁親王の家系図と妻と子供は?子孫は小松揮世久氏?

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naobim / Pixabay

小松宮彰仁親王(仁和寺宮嘉彰親王)の妻と子供、子孫と家系図は?小松揮世久氏との関係は?

小松宮彰仁親王は、
仁和寺門跡から還俗し、軍人となり、
参謀総長までつとめた人物です。

皇族軍人は、数多くいますが、
小松宮彰仁親王は、
陸軍草創期の軍人です。

小松宮家は旧皇族ということで、
家系図や子孫などが注目されることがあります。

この記事は、
小松宮彰仁親王の家系図や
小松宮家の現在についての話題をお送りします。

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小松宮彰仁親王(仁和寺宮嘉彰親王)と小松宮家の創設

小松宮彰仁親王は
伏見宮邦家の八男でした。

仏門に入り、
仁和寺の門跡となっていたのですが、還俗し、
仁和寺宮嘉彰親王と名乗っておりました。

戊辰戦争では
奥羽征討総督をつとめました。

その後
明治3年に
仁和寺宮嘉彰から、東伏見宮に宮号をあらため、

さらに
明治15年に
小松宮に改めています。

一般的には、現在では
小松宮彰仁親王という名前で、知られている人物です。

小松宮彰仁親王の妻と子供

小松宮彰仁親王の妻は、
頼子という名前でした。
久留米藩主の有馬頼咸の長女でした。

小松宮彰仁親王は、
妻とのあいだに子供はいませんでした。

小松宮家は1代で廃絶

そうした事情があって、
小松宮彰仁親王は、
養子をとって、小松宮家を存続させることを望みました。

実弟である
依仁親王(のちの東伏見宮依仁親王)を、
養子にして
小松宮家を継がせようとしましたが、
こうした希望はかなわず、

小松宮家は一代で廃絶となっています。

小松宮家の祭祀を継ぐ小松侯爵家

しかし、
小松宮家は廃絶されたものの、
小松宮家の祭祀を継承する、
小松侯爵家が創設されています。

北白川宮能久親王の四男である
輝久王が臣籍降下し、
小松侯爵家は創設されました。

北白川宮能久親王は、
小松宮彰仁親王の弟にあたります。

つまり
小松侯爵家の初代、小松輝久は、
小松宮彰仁の甥にあたります。

小松輝久の妻と子供は?

小松宮家の直系の子孫は、
小松宮彰仁に子供がいないため、存在しませんが

小松宮家の祭祀を継承する、
小松侯爵家の子孫は、現在も存続しています。

小松侯爵家の家系図を見ていきます。

小松輝久 1888-1970
北白川宮能久親王の四男
海軍兵学校卒
海軍中将
貴族院議員
侯爵
平安神宮宮司

妻:小松薫子さん
明治29、公爵島津忠承姉

長男:小松彰久さん(後継者)

二男:小松豊久さん
大正10

同妻:小松規容子さん
昭和2、林安さん長女

長女:小松舒子さん
大正12
女子学習院出身
木戸孝澄さんと結婚

小松輝久さんの長女は、
内大臣をつとめた木戸幸一の長男、木戸孝澄さんと結婚されています。

小松彰久氏の妻と子供、家系図は?

小松輝久さんの長男は、
小松彰久さんです。

小松彰久さんの
妻や子供、家族について見ていきます。

小松彰久さん 1919
小松輝久長男
陸軍航空士官学校出身

妻:小松淑子さん
1925 西竹一男爵の長女

長男:小松揮世久さん
1949
一橋大学経済
三菱銀行勤務

同妻:小松千恵子さん
1956 清田平市さん長女

女:小松友子さん
1951
名達博吉さんと結婚

女:小松佐智子さん
1957
尾崎太加夫さんと結婚

女:小松久美子さん
1961
福島新一さんと結婚

小松彰久さんの妻は、
西竹一男爵の娘さんです。

西竹一男爵は、
乗馬の名手であり1932年のロサンゼルスオリンピックで、
馬術競技で金メダルを獲得しています。

小松揮世久氏は伊勢神宮大宮司をつとめた

そして
小松侯爵家の現在の当主であり
小松宮家の祭祀継承者の方は、
小松彰久さんの長男である
小松揮世久(きよひさ)さんです。

小松揮世久さんは、
もともと三菱銀行の銀行員でした。
金沢支店長や金沢支社長をつとめられたのち、
三菱財団総務部長をつとめられました。

小松揮世久さんは、
2017年に伊勢神宮大宮司に就任されて、2022年まで務めています。

このように
小松宮家、および小松侯爵家の子孫は、続いているのです。

というわけで、
小松宮彰仁親王の家系図や
小松宮家の現在についての話題をお送りしました。

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