閑院宮家の家系図と現在の子孫は?閑院宮戴仁親王の妻と、子供は何人?息子や娘は?
閑院宮家(かんいんのみやけ)。
四親王家と言われた、
皇室の名門でしたが、戦後、臣籍降下された旧皇族です。
閑院宮家といえば、
閑院宮戴仁(ことひと)親王が有名です。
閑院宮戴仁親王は、
陸軍軍人として活躍、参謀総長をつとめています。
皇族が軍人になり、昇進を重ねるのは
当然のこととされていた当時ですが、
閑院宮戴仁親王のように、参謀総長まで務めた皇族というのは珍しいです。
海軍では、
伏見宮博恭王が、軍令部総長になっていますが、
閑院宮戴仁親王と、伏見宮博恭王は、昭和初期の皇族軍人で陸海軍の双璧ともいえるでしょう。
この記事は
閑院宮家の家系図や、子孫の現在、
閑院宮戴仁親王の妻や子供に関する事柄を整理していきます。
閑院宮家の起源は?伏見宮系旧皇族との違いは?
まず
閑院宮家についての説明ですが、
閑院宮家は、戦後臣籍降下して平民籍となった、
11宮家のなかでは、かなり特殊な宮家です。
閑院宮家の創設は、
江戸時代中期で、東山天皇の六男、直仁親王にさかのぼります。
戦前の宮家の多くは、
南北朝時代の天皇の子孫である、伏見宮家から分かれて、
明治時代以降にできた宮家です。
久邇宮家、賀陽宮家、朝香宮家、東久邇宮家など、
それほど古い家系ではなく、
すべて伏見宮家から、明治時代以降に「分家」してできた家です。
閑院宮家に養子?男系相続されていない宮家!
しかし、
閑院宮家の歴代は、すべて男系でつながっていない、
という特殊な事情があります。
宮家というのは、
男系子孫によって、代々継がれるものであり、
養子をとって、相続できないのが通例です。
しかし、
閑院宮家の場合は、事情が異なります。
閑院宮家の歴代当主は?
閑院宮家の歴代は、
閑院宮直仁親王 初代
閑院宮典仁親王 2代
閑院宮美仁親王 3代
閑院宮孝仁親王 4代
閑院宮愛仁親王 5代
閑院宮戴仁親王 6代
閑院宮春仁親王 7代
となっているのですが、
初代の
閑院宮直仁親王から5代目の
閑院宮愛仁親王までは、すべて直系子孫で、
代々、親から子へと相続されているのですが、
6代目の
閑院宮戴仁親王は、先代の閑院宮愛仁親王の子供ではないのに、
閑院宮家を継いでいるのです。
つまり、
江戸時代中期の東山天皇の男系子孫である、
閑院宮家の血統は、この段階で途絶えていて、
閑院宮戴仁親王からは、別の血統が入っているのです。
閑院宮戴仁親王は、伏見宮邦家親王の子供で、閑院宮家の「養子」?
では、
閑院宮戴仁親王の実の父親は、
どういった方だったのかといいますと、
閑院宮戴仁親王の父親は、
伏見宮邦家親王という人物でした。
伏見宮邦家は、たいへんな子だくさんでしたが、
その16男として生まれたのが、
閑院宮戴仁親王でした。
閑院宮家が途絶えそうになったので、伏見宮家から入って、継いだのでした。
わかりやすい言い方をすると、
閑院宮家に養子入籍したようなもの、と言えますでしょうか。
閑院宮戴仁親王の妻と子供、家系図は?
では
閑院宮戴仁親王の妻や子供、
家系図について見ていきましょう。
閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう) 1865-1945
伏見宮邦家親王第十六王子
1872年に閑院宮家を継承する
元帥陸軍大将妻:智恵子
明治5、公爵三条実美の次女長男:篤仁王 夭折
長女:恭子女王(ゆきこじょおう)
明治29
子爵安藤信昭と結婚次女:茂子女王
明治30
侯爵黒田長礼と結婚三女:季子女王 夭折
次男:春仁王(後継当主)
四女:寛子女王
明治39
関東大震災で没五女:華子女王
明治42
侯爵華頂博信と結婚
その後、戸田豊太郎と結婚
閑院宮戴仁親王の妻は、
幕末から明治初期に活躍した公家の三条実美の娘でした。
閑院宮戴仁親王の跡継ぎは、
次男の
閑院宮春仁が継いでいます。
閑院宮春仁(閑院春仁、のち閑院純仁)氏の妻と、閑院宮家の子孫の現在は?
閑院宮春仁王は、戦後は皇籍離脱によって、
閑院春仁さん(その後、閑院純仁と改名)と名乗りました。
閑院宮春仁王の家系図です。
閑院宮春仁王 1902-1988
閑院宮載仁親王次男
陸軍少将妻:閑院宮直子
公爵一條実輝四女
閑院宮春仁王の妻は、
旧摂家の一條家の娘さんでしたが、
子供はいません。
閑院宮春仁さんの代で、
閑院宮家は断絶し、天皇の男系子孫としての血統も途絶えました。
なお、
閑院宮春仁さんの姉妹のほうの子孫では、
現在も子孫の方がいらっしゃるようです。
というわけで、
閑院宮家の家系図や、子孫の現在、
閑院宮戴仁親王の妻や子供に関する事柄を整理してみました。