森鴎外の父親と母親、兄弟!先祖は島根県津和野藩医で西周との関係は?

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camiladenleschi / Pixabay

森鴎外の父親と母親と兄弟姉妹!生家は島根県津和野で先祖は藩医!西周との関係は?

明治大正の文豪として知られる、
森鴎外(もりおうがい)。

森鴎外は、
作家と軍医という、
二つの領域で頂点に立ち続けた、
明治の立身出世を成し遂げた人物です。

それにもかかわらず、
森鴎外は、
医学博士、文学博士、
高等官一等、従二位、勲一等、功三級などの、
栄典・称号を贈られたものの、
「石見の人、森林太郎」として、
没後の位階昇叙を拒んだことでも知られています。

森鴎外は、
こうした栄典に無意味さを感じていたのでしょうか。

この記事は、
森鴎外の父親と母親、兄弟姉妹や実家の家族構成など、
家系図の話題を書いていきます。

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森鴎外の出身地は、島根県津和野町

森鴎外の出身地は
島根県津和野町です。

森鴎外が生まれたころは、
石見国と言われました。

森鴎外の生家がある津和野町は、
島根県の東部にあり、
山口県山口市や萩市にも隣接しています。

森鴎外の実家は、
現在の島根県津和野町町田という住所にあります。

森鴎外の生家は、
豪邸というわけではなく、
むしろ質素なたたずまいのようです。

森鴎外の先祖の家系は、津和野藩の御典医

森鴎外の先祖や家系について見ていきます。

森鴎外の先祖は、
津和野藩士であり、御典医として仕えた家系です。

津和野藩は、
43000石ほどの藩であり、
相対的に見ると、中規模の藩でした。

津和野藩の藩主は亀井家で、
明治維新後には伯爵家となっています。

森鴎外の家系は、津和野藩の中級藩士

森鴎外の家系は、
初代、森玄佐にさかのぼります。

森鴎外の先祖は
津和野藩士として150石の高禄をえた、
侍身分の上級武士の家柄だったのですが、
徐々に没落しています。

森家は家禄、
150石から80石へ、そして80石から50石へと減じられ、

森鴎外の祖父、
森伯仙(森白仙)の代には、
50石取りの徒士(かち)身分であり、
中級の武士といった扱いであったようです。

森鴎外の祖父、森白仙

森鴎外の家系は、
祖父母の代に夫婦養子(夫妻とも養子をむかえること)となり、
それまでの
森家の先祖の家系とは血統的には異なる家が入っています。

森鴎外の祖父は、
旧姓、佐々田といい、森家の養子に入る前は佐々田綱浄という名前でした。

森鴎外の祖父は、
長崎や大阪、江戸などにも住んでいたようで、
各地で最新の医学を学んでいたのでしょう。

森鴎外の祖父、森白仙(森玄仙から改名)は、
天保年間に40歳くらいで森家の養子となり
森家の12代目の当主となり、
津和野藩の御典医を勤めながら、町医者をしていました。

森鴎外の父親、森静男

森鴎外の父親は、
森白仙の婿養子で、
森静男(前名、森静泰から改名)という名前でした。

森鴎外の父親は、
実家は医者ではなく、現在の山口県の豪農の家系でした。

森鴎外の父親の旧姓は、吉次(よしつぐ)といいます。

森鴎外の父親も津和野藩医でした。

森鴎外の父親は、
明治時代になると、津和野から東京に出てきて、
現在の東京都墨田区向島に住み、
医者をしていました。

この時の森家の自宅は、
現在も森鴎外住居跡の碑が現在でも立っています。

近くに、
旧津和野藩主である亀井家の屋敷もあったそうで、
森鴎外の父親は、
毎日、旧藩主の亀井家に診察に行っていました。

森鴎外の父親はのちに
現在の足立区北千住で橘井堂医院を開業しています。

森鴎外の母親

一方、
森鴎外の母親はどんな方でしょうか。

森鴎外の母親の名前は、
峰子といいました。

森鴎外の祖父である、
津和野藩医、森白仙の娘にあたり、
婿養子を迎えました。

森鴎外の母親も、
1873年に、津和野の家を売り払い、
東京に出てきています。

森鴎外が
11歳の時のことで、
その頃には、
森鴎外の実家の家族は、全員が東京に出てきていました。

森鴎外の兄弟は三木竹二

森鴎外の兄弟は、
どのような構成なのでしょうか。

森鴎外の兄弟には
弟が2人、妹が1人います。

森鴎外の弟の名前は、
森篤次郎といいます。

森鴎外より5歳年下の
1867年生まれ。
帝国大学医科大学卒業。
医者のかたわらで、歌舞伎評論をおこない、
三木竹二という筆名で活動しました。

森鴎外の弟、森篤次郎は、
河田佐久馬男爵と養子縁組が決まっていたが、
破談となり、
判事の長谷文の長女、久子と結婚しています。

森鴎外の弟、森潤三郎

森鴎外の2番目の弟の名前は
森潤三郎。

年齢は
1879年生まれで
森鴎外よりも17歳年下です。

東京専門学校史学科を卒業。
京都府立図書館に勤務していました。
書誌学者で歴史研究者でもあります。

儒学者の米原綱善の娘、思都子と結婚しました。

森鴎外の妹、小金井喜美子!星新一は子孫!

森鴎外の妹の名前は
喜美子といいます。

森鴎外は、1871年生まれ。

森鴎外よりも年齢は、9歳年下。

森鴎外の妹は、
東京女子師範学校付属高等女学校卒業の才女で、
森鴎外と共に『於母影』の翻訳をしています。

森鴎外の妹は、
東大医学部教授の小金井良精と結婚し、
結婚後は小金井喜美子という名前になりました。

森鴎外の妹、小金井喜美子の孫には、
作家の星新一がいます。

森鴎外の家系図は、西周とも親戚

また
森鴎外の親戚には、明治時代の思想家、西周(にしあまね)がいます。

森鴎外と西周との家系図上の関係は、

森鴎外の曾祖父の次男である、
森覚馬が津和野藩医である西家に養子に入って、
その息子が西周ということなので、

森鴎外と西周は、
親戚関係にあります。

しかし、
森鴎外の祖父と祖母は、
他家から養子に入って森家を継いでいるために、
森鴎外と西周との血縁関係はないみたいです。

というわけで、
森鴎外の父親と母親、兄弟姉妹や
実家の先祖の家系図に関する事柄を整理しました。

森鴎外の子孫は医者?家系図や子供の名前?妻や結婚、家族構成は?

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