徳川慶喜の家系図!子孫の現在?子供は何人?孫は作家?カメラマン?

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fotografierende / Pixabay

徳川慶喜の子供の数は何人?子孫の現在はカメラマン?孫は作家で本を出版?末裔を家系図で紹介!

徳川慶喜(よしのぶ)は、
最後の
江戸幕府将軍として
日本史の教科書はもちろん、

歴史ドラマや
小説などでも
よく登場します。

徳川慶喜は、
徳川家康から数えると
15代目の将軍ですが、

明治維新を経て、
その後、
徳川家がどうなったのか
というのは
意外と知られていないようです。

この記事では、
徳川慶喜(徳川よしのぶ)の
家族や家系図、子孫といった事柄を
整理していきたいと思います。

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徳川慶喜の明治維新後は?

徳川慶喜は
明治維新を経て、
華族という特権的な身分になりました。

華族というのは、
明治時代に創設された
身分のひとつで、
近代日本の「貴族」とも
言えるものです。

徳川慶喜は、
元将軍ということもあり、
華族のなかでも
最も最高位である、
「公爵」という地位になり、

貴族院議員として
明治時代の政治にも
かかわりを持ちました。

徳川慶喜は
趣味のカメラなどに興じつつ、
長寿をたもち、
大正2年(1913)まで、
長生きしました。

徳川慶喜の子供は何人?

では
徳川慶喜の
子孫がどのようになったのかを
見ていきましょう。

徳川慶喜の
子供は何人か
といったことから
まずは確認です。

徳川慶喜の子供は
24人いました。

昔ですので
幼くして
なくなった子供もいたので

徳川慶喜の子供のうち、
成人したのは、14人。
6人の息子と、8人の娘でした。

徳川慶喜の妻と、子供について

徳川慶喜の妻は、
正室のほかに
側室が3人いました。

徳川慶喜は
正室とのあいだに
成長した子供はなく、

新村信と、中根幸という、
2人の側室のあいだに
生まれた子供たちが、

明治時代以降の
徳川慶喜の家族
構成していくことになります。



徳川慶喜の家族を家系図で紹介

徳川慶喜の家族構成を
家系図で確認しましょう。

・徳川慶喜 公爵
天保8、水戸藩主・徳川斉昭七男
一橋徳川家当主
のちに徳川宗家を継ぎ、第15代将軍となる
明治維新後は
貴族院議員を務めた

側室・新村信
嘉永5、松平政隆女、新村猛雄養女

長女・鏡子
明治6
田安徳川家当主、伯爵徳川達孝と結婚

三女・鉄子
明治8
一橋徳川家当主、伯爵徳川達道と結婚

九女・経子
明治15
伏見宮博恭王と結婚

七男・慶久 ※次代当主
明治17
東大政治科卒
貴族院議員、華族世襲財産審議会議長

十一女・英子
明治20
水戸徳川家当主、公爵徳川圀順と結婚

十男・精
明治21
伯爵勝海舟の婿養子となる

※家系図は敬称略

徳川慶喜の息子は、勝海舟の養子に

徳川慶喜は
側室の新村信とのあいだに
子供がいますが、

このうち成長したのは
2男4女です。

徳川慶喜の七男、
徳川慶久(よしひさ)が、
徳川慶喜の後継ぎです。

徳川慶喜の子供が、
勝海舟の養子になっていることも
興味深いですね。

勝海舟の子孫の家系図!子供は息子と娘?妻や家族?財務省?アメリカ?

徳川慶喜と側室、中根幸の子供たちは?

そして
徳川慶喜と
側室、中根幸とのあいだの
子供たちを
家系図で整理すると、
このようになります。

・徳川慶喜 従一位勲一等公爵
天保8、水戸藩主・徳川斉昭七男
一橋徳川家当主
のちに徳川宗家を継ぎ、第15代将軍となる
明治維新後は
貴族院議員を務めた

側室・中根幸
天保7、旗本・中根芳三郎長女

四男・厚
明治7
徳川男爵家を創立

四女・筆子
明治9
侯爵蜂須賀正韶と結婚

七女・浪子
明治13
男爵松平斉と結婚

八女・国子
明治15
子爵大河内輝耕と結婚

十女・糸子
明治16
侯爵四条隆愛と結婚

九男・誠
明治20
徳川男爵家を創立

※家系図は敬称略



徳川慶喜の息子、徳川慶久の家族の家系図

それから
徳川慶喜の後継ぎである、
徳川慶久の家族についても
話題を移していきます。

徳川慶久の家族を
家系図で示すとこのように
なります。

・徳川慶久氏 公爵
明治17、徳川慶喜七男
東大政治科卒
貴族院議員、華族世襲財産審議会議長

妻・實枝子さん
明治24、有栖川宮威仁親王第二王女

二女・喜久子さん
明治44
高松宮宣仁親王と結婚

長男・慶光さん ※次代当主
大正2
東大文学部卒
宮内省図書寮嘱託

三女・喜佐子さん(作家・榊原喜佐子)
大正10
子爵榊原政春氏と結婚

四女・久美子さん
大正11
侯爵松平康昌長男、松平康愛氏と結婚、軍医・井手次郎氏と結婚

徳川慶喜の子孫には、高松宮喜久子さまも…

徳川慶喜の息子、
徳川慶久氏の子供は、
良く知られている方もいます。

大正天皇の三男の
高松宮宣仁(のぶひと)親王の
お妃さまだった、
高松宮喜久子さまは、
徳川慶喜の孫娘、
という関係にあたります。

徳川慶喜の孫娘、榊原喜佐子さん、井手久美子さんは本を出版

そして
徳川慶久氏の三女は、
作家として活動した、
榊原喜佐子さんです。

榊原喜佐子さんは
徳川慶喜の孫娘として、
明治時代以降の
徳川慶喜家の様子を描き、

『徳川慶喜家の子ども部屋』
という本を、
出版されています。

また、
徳川慶久氏四女の
井手久美子さん
『徳川おてんば姫』を出版し、
95歳で作家デビューなさった、と
メディア報道されました。



徳川慶喜の孫、徳川慶光氏の家系図

次いで
徳川慶喜の孫の代の
家族を家系図
確認しましょう。

・徳川慶光氏 公爵
大正2、徳川慶久氏長男
東大文学部卒
宮内省図書寮嘱託

妻・和子さん
大正6、子爵松平保男氏四女

長女・安喜子さん
昭和17

二女・眞佐子さん
元衆議院議員・平沼赳夫氏と結婚

長男・慶朝さん ※次代当主
昭和25
カメラマン

徳川慶喜の孫、
徳川慶光さんの子供には、
衆議院議員だった
平沼赳夫さんの妻となられた、
旧姓、徳川眞佐子さんがいます。

徳川慶喜の子孫はカメラマン!現在の家系は?

そして
徳川慶光さんの長男、
徳川慶朝さんが
次の当主です。

実は
徳川慶朝さんが
徳川慶喜家の最後の当主です。

徳川慶喜の曾孫、
徳川慶朝さんは
成城大学経済学部を卒業したあと
広告制作会社に勤務し
写真を担当していました。

退社後も
フリーの
写真家として活動し、
徳川慶喜関係の著作もあります。

徳川慶喜の末裔である
徳川慶朝さんは
2017年になくなり、
これをもって、
徳川慶喜家、本家の系統は
とだえてしまったのでした。

というわけで
徳川慶喜(よしのぶ)の家族や家系図、
子孫の現在といった事柄について
お送りしました。

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