黒柳徹子の学歴・学校、生い立ちは?幼少期に小学校を転校?大学はどこ?
黒柳徹子さん!
徹子の部屋で、
おなじみの、
黒柳徹子さん!
黒柳徹子さんが書いた、
『窓ぎわのトットちゃん』は、
大べストセラーとなりました。
芸能人が書いた本には、
ベストセラーとなる本は、
多いですが、
そのなかでも、
窓ぎわのトットちゃんは、
累計800万部と言われ、
ものすごい、
売れ行きだったようです。
今回は、
そんな黒柳徹子さんの、
「生い立ちや学歴は?幼少期に小学校を転校して、子供の頃は?女学校や大学はどこ?」
といった話題についてお送りします。
黒柳徹子の生い立ちを学歴や学校から…
それでは、
黒柳徹子さんの、
生い立ちについて、
幼少期の学校や学歴に、
関することを、
中心に話を進めてみたいと思います。
なお、
黒柳徹子さんの、
父親や母親など、
実家に関することについては、
こちらの記事で、
扱っていますので、
参考にされてください。
黒柳徹子の父親・母親と家系は?実家の家族や親戚は医者や芸術家ばかり?
黒柳徹子の幼少期は?小学校1年生で転校へ
黒柳徹子さんは、
幼少期には、
落ち着きがないという評価を、
教師からされてしまって、
公立の小学校を1年で退学させられて、
しまったそうです。
黒柳徹子さんが、
幼少期を過ごしたのは、
昭和戦前期のことですので、
当時は、
小学校の留年や退学、
といったことも、
わずかですが、あったようです。
それで、
黒柳徹子さんは、
小学校1年で、
転校をすることになりました。
黒柳徹子が子供時代を過ごした、小学校は?
黒柳徹子さんが、
転校した小学校は、
私立の小学校で、
トモエ学園という学校でした。
黒柳徹子さんが、
転校したトモエ学園は、
目黒区自由が丘にあった、
私立の幼稚園・小学校です。
トモエ学園は、
自由な校風で知られる、
学校で、
黒柳徹子さんが在籍中には、
使われなくなった電車を、
校庭に置いて、
教室として使用したことも、
あったそうです。
トモエ学園の出身者には、
女優の池内淳子さんもいます。
黒柳徹子は小学校卒業後、香蘭女学校に進学
黒柳徹子さんは、
戦時中は、
青森県に疎開していましたが、
戦後、
また東京に戻り、
終戦の混乱時の中で、
女学校に進学します。
黒柳徹子さんが、
進学したのは、
香蘭(こうらん)女学校です。
女学校というのは、
戦後の学校制度の改革が、
おこなわれる以前のもので、
現在の中学校と高校に相当します。
高等女学校について、
詳しくはこちらの記事でも、
扱っています。
明治時代~戦前の女学校・女学生と女子教育の特徴は?良妻賢母思想との関係?
黒柳徹子が学んだ、香蘭女学校は…
高等女学校に、
進学する学生は、
それほど多くなかったようで、
女学校を出ているというと、
高学歴と言われました。
黒柳徹子さんの、
香蘭女学校は、
品川区旗の台にあり、
お嬢様学校として、
知られる女学校でした。
学校の生徒の、
父親の職業は、
官僚や銀行員、会社員、会社経営者といった、
当時のエリート階層の家庭の、
子供が多かったようです。
黒柳徹子の女学校卒業後の学歴は?東京音楽大学出身?
そして、
黒柳徹子さんは、
香蘭女学校を卒業後、
東洋音楽学校に進学しました。
東洋音楽学校は、
現在の、
東京音楽大学です。
黒柳徹子さんは、
声楽科で学びました、
黒柳徹子さんが、
東京音楽大学に進学したのは、
父親と母親が、
音楽家だったからというのが、
大きな
理由なのでしょうね。
黒柳徹子は、慶應大学で聴講生として勉強
そして、
東京音楽大学を卒業後、
黒柳徹子さんは、
慶應義塾大学文学部で聴講生となり、
勉強していたようです。
そして、
黒柳徹子さんは、
学生時代をおえて、
NHKに入り、
社会人となっていきます。
というわけで、
黒柳徹子さんの、
「生い立ちや学歴は?幼少期に小学校を転校して、子供時代は?女学校や大学はどこ?」
といった話題についてお送りしました。