戦前の戸籍にみる「養女」という制度

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SP2Zsolt / Pixabay

明治・大正・昭和初期の養子、養女制度について

戦前の戸籍を見ると、養子縁組をしている方がいると思います。おそらくどこの家にも一人はいるのではないでしょうか?
現代では養子縁組というのは、それほど多くありません。
しかし、戦前の日本では盛んに養子縁組がおこなわれていました。

養子縁組が多かった理由は、当時は「家」の存続が一大事という風潮があったのが大きいでしょう。
養子縁組は、戦前はもとより、江戸時代からすでに多かったのです。
こちらの記事では、女子である養子=養女について、まとめてみました。

参照記事
家制度とは

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戸籍に現れた、養女に行った理由とは?

Q、
家系図作成のために、戦前の古い戸籍を取り寄せました。
高祖父が戸主の戸籍で、長男が曽祖父にあたります。
曽祖父の妻(つまり曽祖母)は、ある人物の養女となってから、曽祖父と結婚しているのです。
養女となってから曽祖父との婚姻までは、わずか二週間ほどしかありません。

この期間だけ、他家に養子に行く意味がまったく分かりません。
厳密にいえば、曽祖母の養子先の家が、曽祖母の旧姓になるのでしょうが、一度も聞いたことのない名字です。
なぜ、このような事が行われたのでしょうか?

江戸時代の身分制度の名残り

A、
そういったことは、たまに見られます。
これは江戸時代以前からの風習です。
例えば、武士と農民が結婚する場合のように、身分差のある結婚をする場合には、一度、他の家に養子に入ってから、嫁がせるといったことが行われていました。
現代人の感覚から見れば、無意味なことに思われるかもしれませんね。

明治時代以降も、こうした風習は残りました。
旧武士である「士族」と「平民」が結婚する場合には、このような事が行われたケースは多くあります。
おそらく、曽祖父様の家系と、曽祖母様の家系のあいだに身分差があって、こうしたことが行われたのだと思います。

下記のリンク先にある猶子(ゆうし)の意味を、調べると理解が深まると思います。

参照記事
猶子の意味と、養子との違い

一時的に養子に入ってから、結婚する理由

Q、
先祖の戸籍を見て、疑問に思うところがありました。
私の曽祖母は、ごく短期間のあいだ、曽祖父の父である高祖父の養女となってから、曽祖父と結婚しているのです
この事は、今まで全く知りませんでした。
何か事情があったのでしょうか?

身分差によるもの

A、
こちらのケースも、身分差のある結婚だったではないでしょうか。
元武士の家系と、そうでない家系が結びついたのでしょう。
形式的なもので、それほど深い理由は無いと思います。

戸籍に見られた「縁女」の意味は?

Q、
明治時代の先祖の戸籍に見慣れない文字がありました。
「縁女」とあります。
どういう意味でしょうか?

明治時代の制度、「縁女」とは

A、
民法制定以前の制度です。
戸主の実子あるいは養子と結婚させるために、入籍させた女子のことを「縁女」といいます。

参照記事
江戸時代の養子縁組制度

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