ケンドーコバヤシのファミリーヒストリーと家族と実家

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geralt / Pixabay

ケンドーコバヤシのファミリーヒストリー

お笑いタレントのケンドーコバヤシさんのファミリーヒストリーの感想をまとめていきましょう。

番組では、ケンドーコバヤシさんの母親のほうの祖父を調べていました。
ケンドーコバヤシさんの母方の祖父は、安藤高といいます。

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ケンドーコバヤシの母親方の祖父

番組取材班は、戸籍謄本を調べて本籍地周辺で調査をおこないます。
現在の岡山県美作市に、本籍地はありました。
1906年に農家・安藤家の長男として生まれたという祖父の人生を調べてみましょう。

ケンドーコバヤシの祖父の実家を調査

美作市の本家には、ケンドーコバヤシさんの祖父・安藤高ゆかりのものが多く保管されていました。
写真はもちろん、成績表まで保管されていました。
成績表を見ると、「甲」ばかりでした。甲というのは四段階の成績評価で最も良いものなので、いかに優秀な生徒だったのかがうかがえますね。

戦前日本の進学事情

このように成績優秀だった生徒は、
尋常小学校を卒業してから、上の学校に進学します。

当時は、中学校以上に進学できたのは、
学費がとても
高額だったということもあって、
原則的にお金持ちの子どもだけでした。

成績優秀であっても、
実家が貧しい家庭の子どもは、
教員養成学校である師範学校に通うか、
軍人養成学校である士官学校に入るものが多かったのです。



自宅通学は一般的ではなかった

ケンドーコバヤシさんの祖父・安藤高も、その例にもれず、教員養成学校に学んだようです。
有漢教員養成所という学校に入学しました。

こちらの学校は、二年間の授業料はすべて無料で、全寮制だったそうです。
当時の学校は、全寮制のところが多いです。
現在のように自宅通学ではないのですね。

ケンドーコバヤシの家族は、教員一家!

18歳で実家近くの小学校の教師となり、教師になって4年後に、同僚である女性教師・鎌田みよしが赴任してきて、結婚をすることになります。
つまり旧姓・鎌田みよしが、ケンドーコバヤシさんの祖母ということになります。

ケンドーコバヤシさんの家系は、教員一家という事になりますね。

参照記事
小学校教師だった先祖の家系図作成調査

ケンドーコバヤシの祖父は、戦地へと向かう

ケンドーコバヤシさんの祖父・安藤高は、1937年に日中戦争が勃発すると、召集されてしまいます。
中国大陸へと向かいました。
教師だったことあり仲間から尊敬され、書紀を務めていたといいます。
戦地から、安藤高は、妻・みよしへと手紙を書くことを忘れませんでした。
そして、出征から2年後に、安藤高は無事に帰国し、再び教師となりました。
1940年に、のちのケンドーコバヤシの母となる長女の輝恵が誕生しました。
そして、35歳で教頭先生となりました。



ケンドーコバヤシの祖父の戦後の、ファミリーヒストリー

戦後、昭和28年には、日本に戻ったケンドーコバヤシさんの祖父・安藤髙は、小学校の校長になりました。
安藤髙は、食事も取れなかった貧しい村だったので、先駆けて完全給食をしていたそうです。

校長先生となれば、相当なものですね。
教員については、記録が残っている場合が多いので、是非、みなさんのご先祖にも教員のかたがいらしたら、お調べすることをおすすめいたします。

ケンドーコバヤシの父親と母親の出会いへ

そして、定年退職となりました。
その頃、大阪で働いていた娘・輝恵は25歳になり縁談の話が整いました。
相手は金融機関に務める小林浩という男性でした。
この見合いは2人の父親同士が決めたものでした。
2人は同じ教員養成所の同級生だったという意外なつながりがあったそうです。
つまり、ケンドーコバヤシさんの父親・母親双方の祖父は、教師だったということですね。
なんだか意外な感じがしますね!

そして昭和40年に、二人は結婚しました。
祖父・安藤髙は、教員を退職後、地元の村長選に立候補したといいます。
当選こそしませんでしたが、地元の役に立ちたいと願っていたのでしょう。

ケンドーコバヤシのファミリーヒストリーの感想

ケンドーコバヤシさんの家系については、いっさい知らなかったので、とても意想外な感じがしましたね。

意外にも、教員一家という堅いお仕事の家系だったのは、おどろきでした。このような意外性というのも、ファミリーヒストリーという番組ならではだと思います。

では、次回のファミリーヒストリーも期待したいと思います。

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