明治時代の改姓・廃絶家再興と復姓

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kimura2 / Pixabay

明治時代初期には苗字が変わる!

現在では、婚姻や養子縁組をせずに、苗字を変えるのは、ほぼ不可能です。
事実上、「改姓」は、不可能といって良いでしょう。
ところが明治時代初期には「改姓」が、たまに見られます。
まずは、明治初期の苗字をめぐる法令を振り返ってみましょう。

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明治初期の苗字をめぐる歴史

明治3年(1870年)に「平民苗字許可令」が発令され、庶民が苗字を公称することが認められました。
よく、江戸時代の庶民は苗字を持っていなかったと言われていますが、それは誤りです。

しかし、「平民苗字許可令」が発令されても、一部の人たちは苗字を名乗りませんでした。
その後、1875年(明治8年)に、「平民苗字必称義務令」が発令されたことで、国民すべてが苗字を名乗ることを義務付けられます。

参照記事
江戸時代に庶民は苗字を名乗れたのか?

苗字が変わる二つのパターン

明治初期によく見られる改姓のパターンは以下の二つです。

・廃絶家再興(はいぜつけさいこう)
・復姓

まずは、廃絶家再興について説明しましょう。
廃絶家再興とは、継承者がいないために途絶えてしまった家を復活させることです。

当時の価値観ですと、家名の存続というのは、とても重要なことでした。
由緒ある家であれば、縁者が戸主として入り、家名を復活させます。
その際には、廃絶してしまった家の苗字を名乗ることになります。

こうした事例は江戸時代にも行われていましたが、明治時代になると増えました。
その理由は、兵役逃れによるものです。
戸主になれば、兵役を免れることができたからです。
多くの場合、縁者が家に入って家を再興するのですが、全く関係のない人が、再興する場合もあります。

先祖が名乗っていた苗字に変える「復姓」

次は、複姓についてです。
複姓とは、もともと遠い先祖が名乗っていた苗字に改めることです。

例えば、須坂藩主・堀家を例にあげてみましょう。
須坂藩最後の藩主・堀直明は、明治10年(1877年)2月13日に、奥田姓に復姓しております。
これは、堀家の先祖である堀直政が、もともと奥田姓を名乗っていたことに由来します。

これは由緒のある家系においてのみ、行われていたものです。

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