本家と、先祖調査をめぐる問題について

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ujeans / Pixabay

本家は、一族の家系をすべて知っているのか

日本は、古くは家制度というものがありました。
その名残りが現在でも、いくらかあります。
親戚のなかで、序列というものがあるはずです。
「ウチには、そんなものはない」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、親戚付き合いをしている以上、親戚間の序列というものは確実に存在すると思われます。

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先祖はたくさんいるものの…

そもそも、特定の「苗字」を名乗るというのが、「親戚間の序列化」の根源的な要因だと思います。
私たちは、先祖の血統を平等に引き継いでいます。
祖父母の代から見れば、それぞれ4分の1ずつ、曽祖父の代から見れば、8分の1ずつといった具合です。

多くの場合、そのなかで「自分の先祖」として強く意識するのは、自分が名乗っている苗字の先祖のことだと思います。
祖父母くらいの代であれば、父方・母方双方ともに「自分の先祖」として意識している方は多いと思います。
しかしながら、高祖父母の代は全員で16人いますし、その前の代となると、32人です。
そうなると、「全員を先祖として意識する」のは、現実的に難しいでしょう。
このなかで便宜的に先祖として意識するのが、自分の名乗っている苗字の先祖です。

「苗字が違えば、他人」という意識

しかし、どんなに近い親戚でも「苗字が違えば、他人」といったような価値観を持っている人は多いです。
先祖の祭祀に関する問題などが起こったときにも、「他家のことなので口を出せない」といったような話は、よくあることです。
日本の「家」をめぐる問題は、非常に排他的なところがあります。
しかし、特定の一つの苗字を名乗らなければならない以上、私たちに宿命づけられていることなのかもしれません。

本家を中心とした親戚間の序列

同じ苗字を名乗る親戚のなかでも序列があります。
先祖の祭祀を継承している「本家(ほんけ)」というのが、序列のトップです。
もちろん、「法の下の平等」が憲法で明文化されている現在の日本において、「親戚間の序列」といったものは制度上ありません。
しかし、制度上はなくても、こうした意識を持っている人が多いのは否定できないことです。

家系調査によくある誤解

「本家」が絶対であるかのような考えは、先祖調査をするにあたっても問題となってくる部分もあるので、少し触れてみましょう。
よくある誤解に、「先祖の戸籍の閲覧は、同じ苗字を名乗っているものに限定される」というものがあります。
これは明らかな誤りです。

先祖の戸籍閲覧は、直接の先祖であれば、苗字が異なっていても可能です。
困ったことに、10年以上前に書かれた「家系調査」の本には、このような嘘が書かれていることもあるのです。
こうしたことがあるので、昔に書かれた「家系調査」に関する本は、読まないほうが良いと思われます。

参照記事
戸籍調査から家系図を作成する方法

本家の判断が絶対ではない

それから、以下ケースもよくあります。
家系調査では「本家が知らないといっているから、親戚ではない」という判断がなされることがあります。
例えば、芸能人などで、「戦国武将の末裔」といったような人がいたとします。
その「本家」に取材したところ、「そのような親戚は知らない」と言われたので、「戦国武将の末裔」というのはデマだった、といったようなネタが週刊誌やネットに出回ることがあります。

こうした場合に問題となるのは、「本家」の人がどれだけ自分の家系について知っているのか、ということです。
「戸籍」の範囲内で辿れないというのなら分かりますが、江戸時代以前に作られた「家系図」で辿れないといった場合に、どれくらい信用できるものなのでしょうか?
古い家系図の問題点については何度か書きましたが、その多くが「略系図」に過ぎません。
したがって、すべての「親戚」を把握することは、不可能です。

「本家」に取材して、「知らない」といえば「偽物」だと安易に判断するのは、正確ではありません。
「本家では確認がとれていない」とするのが正確です。

例えば、以前放送されたNHK『ファミリーヒストリー』では、元ボクサーの赤井英和さんの家系が取り上げられていましたが、本家の取材によって「知らない」と言われていました。
しかし、調査を進めると実際に赤井英和さんは、その家と関係のある家だったのです。
こうしたこともあるので、先祖調査において、「本家」を絶対視するというのも、考えものなのです。

関連記事
赤井英和さんの先祖とファミリーヒストリー
古い家系図の問題点

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