赤井英和さんの実家と先祖とファミリーヒストリー

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Prawny / Pixabay

赤井英和さんの家系図とファミリーヒストリー

赤井英和さんのファミリーヒストリーです。
赤井英和さんは、現在は俳優ですが、ボクシングをされていたそうですね。
当時のことは、よく知りません。
私が赤井英和さんを知ったのは、もう20年くらい前でしょうか。
山口智子さんとCMで共演されていたのを機に知りました。
“それがあなたのいいところ♪”といって山口智子さんが歌いだす、あのCMです^^
最近では、スポーツジムのライザップの広告に出ていますね。

家系図や先祖に関心を持っている私は、赤井英和さんが、戦国武将・赤井直正の子孫だという話は知っていました。
そういうこともあって、あらかじめ期待して見ました。
また、いつものように、家系図作成の知識を織り交ぜながら、感想をつづっていきたいと思います。

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赤井英和は戦国武将・赤井直正の子孫?

まず、番組は大阪市西成区に住む、赤井英和さんの母・久栄(ひさえ)さんを訪ねました。
赤井久栄さんによれば、先祖は丹波の戦国武将で赤井悪右衛門という人物だったといいます。
この悪右衛門と直正は同一人物です。

戦国武将・赤井直正とは

そこで、番組では兵庫県丹波市の史料館を訪ね、赤井直正のことを調べます。
元禄5年に書かれた『赤井家先祖細記』によれば、直正は、丹波黒江之城主で12万石の領主だったようです。

赤井“悪右衛門”直正

番組では戦国時代研究で著名な学者である小和田哲男さんに、赤井直正の通称名である「悪右衛門」という名前について、インタビューしています。
小和田哲男さんによれば、「悪右衛門」というのは、「悪い」というよりも「強い」というような意味の名前だった、ということです。

武士の名前は、このように通称名と実名から構成されていたので、しばしば同一人物なのかどうか分からなくなってしまう事があります。

戸籍には実名で登録されているのに、分限帳には通称名で書かれているといったことが、よくあります。
そうなると、名前が異なっているために、自分のご先祖だと分からないのです。
あらかじめ、「武士はいくつも名前を持っていた」というように認識しておいたほうが良いですね。

参照記事
江戸時代の武士の名前

赤井直正の子孫宅の調査

その後、番組では京都市に住む赤井直正の子孫宅に取材しています。
子孫宅には江戸時代に作成された家系図が残されていました。
子孫の方によれば、「赤井家は、織田信長に滅ぼされた後、伊賀の藤堂藩に召し抱えられた」ということでした。
取材陣が「赤井英和さんと親戚と聞いたことはありますか?」と尋ねると、「そういった話は聞いたことがない」と答えていました。真相はどうなのでしょうか?

赤井家の本家へ調査

そこで、取材陣は、赤井英和さんの本家宅への調査を試みます。
本家宅の所在地は、多くの場合戸籍謄本を調べれば分かります。
これが分からないと厄介なのです。
前回の『ファミリーヒストリー』は、戸籍謄本の調査で本家が分からなかったので、とても苦労していましたね。

取材陣は、兵庫県篠山市にある、赤井英和さんの高祖父が住んだ家を訪問します。
するとそこには、赤井家の先祖を記した過去帳が残っていました。
過去帳には、赤井家代々の先祖の名前が書かれています。
そこに、「赤井時家三男、幸家(よしいえ)」という名前が見つかりました。

参照記事
本家宅への訪問調査

赤井幸家の子孫だったことが判明

この赤井幸家という人物を調べてみると、赤井直正の弟にあたる人物であることが分かりました。
つまり、「赤井直正の子孫」というのは事実ではなく、「赤井直正の弟の子孫」というのが真相だったわけです。
このように時代を経ると、伝承が変わっていってしまうことがあります。

例えば「先祖は武士だった」・「先祖は殿様だった」といったような伝承は、誤りを含んでいることが多いのですが、事実である面を少なからず含んでいます。
したがって、今回の取材のように先に、赤井直正の子孫宅を訪ねて、「赤井英和さんは親戚ではないと思う」という取材結果だけで、判断してはならないということです。

番組では、赤井直正の子孫宅の調査が先におこなわれたように構成されていましたが、実際にはこちらの本家宅の調査を先におこなったものと思われます。

参照記事
先祖の言い伝えについて

赤井英和さんの、父・赤井五郎さん

今度は、赤井英和さんの父に関する話へと、話題は移っていきます。
赤井英和さんのお父さん、赤井五郎さんは、婿養子でした。
もとは、兵庫県篠山市の土井家の出身です。
こちらでも、お父さんの実家を訪問調査しております。
昔ながらの日本家屋で、先祖代々の当主の肖像が掲げられておりました。
当主の方のお話によれば、赤井英和さんの高祖父・土井周助さんは、農業を営むかたわらで寺子屋をしていたといいます。
現在でも寺子屋の教科書が、大切に保管されていました。
こうしたものを、保管しておられるのは大変素晴らしいことだと思います。

赤井五郎さんの履歴を兵籍簿で調査

少年時代を戦時下で過ごした赤井五郎さんは、航空兵になるのが夢でした。
17歳で海軍に入隊します。
一般的によくある誤解として、「日本には空軍はなかったのか?」というものがあります。
日本には「空軍」はありませんでした。
陸軍や海軍のなかで、それぞれ航空隊がいたのです。
赤井五郎さんは、そういったわけで、「海軍」に入隊したわけです。

番組では、兵籍簿が映っていましたね。
実に詳細に書かれたものです。
兵籍簿について、簡単に説明しますと、これは旧日本軍に所属された軍人・軍属の方の履歴などをまとめたものです。
「軍歴証明書」という方が一般的かもしれません。
「軍歴証明書」はご先祖の記録を調べるために、重要な資料となります。
みなさんも、身近に日本軍に所属されていた方がいらっしゃれば、是非、調査してみてください。

参照記事
軍歴証明書・兵籍簿の取り方

まるで『永遠の0』

赤井五郎さんは「乱視がある」ということで、航空兵としては務まらないと判断されて、通信隊に回されました。
その後、通信学校を経て、松山航空隊の予科練の教師として赴任しました。
当時の教え子の方へのインタビューによれば、軍隊には珍しい優しい先生だったようです。
後年、赤井五郎さんは、自分のアルバムに貼られた、教え子たちの写真を静かに眺めていたといいます。
多くの教え子たちが、戦場に散った思いは、はかり知ることができないと思います。
まるで『永遠の0』のようだなと、感じました。

ポニーテールが気に入って結婚へ!

そして、戦争が終わり、故郷に帰った赤井五郎さんに、縁談の話がやってきます。
「大阪に親戚の娘がいるから、一緒にならないか」という話でした。
赤井五郎さんは、縁談相手となる赤井久栄さんが働いているお店まで、こっそり様子を見に来ていたようです。

当時は、結婚式当日に初めて顔を合わせた、なんていうこともあった時代です。
赤井五郎さんは、実に抜け目なかったというところですかね(笑)

赤井久栄さんは当時ポニーテールに髪を束ねていて、それを五郎さんが気に入った、ということのようでした。
当時から、ポニーテールという髪型があったのは、少々驚きでした。
私もポニーテールが好きなので、赤井五郎さんの気持ちがよく分かります(笑)

今回の『ファミリーヒストリー』はスムーズな展開

さて、そんな感じの『ファミリーヒストリー』でした。
今回は、極めてスムーズに調査が進みましたね。
どの調査も、それほど難しいものはありませんでした。
前回の松崎しげるさんが、極めて難しい調査だったということもあり、今回はとても容易に思えました。

このように、「先祖を調べる」・「家系図を調べる」といった際の難易度は、それぞれの家によって、かなり異なってきます。
わりとスムーズに何百年も辿れる家もあれば、そうでない家もあります。
赤井英和さんの『ファミリーヒストリー』と、松崎しげるさんの『ファミリーヒストリー』は、まさに対照的でしたね。
次回の放送も楽しみにしたいと思います。

参照記事
松崎しげるさんのファミリーヒストリー


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