大寺院・公家に仕えた武士
「先祖は武士だった」という言い伝えのある家は、意外とあります。
全人口の7%ほどが武士だった、と言われています。
多くの武士は、約300あった、それぞれの地域の藩に仕えていました。
したがって、武士の先祖を調べるには、藩に提出した家系図や、分限帳をあたることになります。
また、藩に仕えずに、直接幕府に仕えた武士もいます。
こうした武士は、旗本や御家人と呼ばれます。
総称して幕臣(ばくしん)とも呼ばれます。
幕臣の調査についても、武鑑などの、幕臣の職員名簿のようなものをあたることで、ご先祖様のことが分かると思います。
しかし、この他にも武士はいます。
こちらの記事では、と「寺侍(てらざむらい)」と「公家侍(くげざむらい)」について触れてみましょう。
寺侍・公家侍の家系調査
「寺侍」とは、文字通り寺に仕えた武士のことを指します。
江戸時代の大寺院は、武士たちを雇っていました。
仁和寺、大覚寺、勧修寺などは門跡寺院といって、寺院のなかでも別格でした。
門跡寺院の住職は、皇族や貴族の子弟たちだったので、護衛の者がついたのでしょう。
一方、「公家侍」とは、公家に仕える武士のことを指します。
公家とは、貴族のことです。
公家は、家臣を持っていました。
摂関家や清華家といった上級貴族になりますと、何人もの家臣を従えていました。
公家の身辺警護にあたったのでしょうね。
寺侍・公家侍は士族なのか?
明治維新を経て、「寺侍」・「公家侍」は、どのような扱いを受けたのでしょうか。
三代以上世襲されたものは士族か卒族になり、世襲でないものは平民になっているとされています。
しかし、一様にそうとも言い切れない事例もあります。
先祖が寺侍・公家侍だったら…
寺侍・公家侍については、先行研究がほとんどないので、不明点が多いです。
したがって、こういったご先祖をお持ちの方の家系調査は、難易度が高いものになってきます。
もしも、先祖が武士だったという証拠があるにも関わらず、戸籍に見られる最古の本籍地近辺の藩の調査で明らかにならないのならば、こうしたケースも考える必要があると思います。