御三卿の家臣は士族か?

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sharonang / Pixabay

御三卿と先祖の関係

御三卿(ごさんきょう)という存在は、歴史的にあまり有名ではありません。
こうした歴史的にマイナーなものに、先祖が関わっているときには、周辺知識を調べるのに、とても苦労することになります。
こちらの記事は、御三卿と、その家臣についての歴史的理解を目指しております。

さて、御三卿という言葉に対して、御三家(ごさんけ)という言葉があります。
御三家なら有名ですね。
もともと御三家とは、徳川将軍家の親藩だった、紀州藩・尾張藩・水戸藩を指す言葉です。
中学受験の世界では、“男子御三家”、“女子御三家”といったような使い方もされているので、馴染みがあると思います。
私自身、中学受験をしていた頃に、“御三家”という言葉を知りました。
あとで、歴史用語だった事を知って驚きました。

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御三卿とは

このように御三家という言葉が、一般名詞化しているのに対して、御三卿という言葉は実にマイナーです。
御三卿とは、江戸時代中期に徳川将軍家より分家したものを指します。
・田安徳川家
・一橋徳川家
・清水徳川家
この三家が、御三卿です。

田安徳川家は、8代将軍・徳川吉宗の二男、宗武によって創立された家系です。
一橋徳川家は、同じく吉宗の四男、宗尹(むねただ)によって創立された家系。
清水徳川家は、9代将軍・徳川家重の二男、重好によって創立された家系となっております。

御三卿は、将軍家の家系が途絶えそうになった時に、養子を出しました。
また、御三家にも養子を出しています。
家系が途絶えそうになったときの、安全装置としての機能を果たしたと言えます。

このようなシステムを作り上げることで、徳川家は260年以上も幕府を維持できたのです。
最後の将軍・徳川慶喜も一橋徳川家の出身です。

御三卿の在り方は独特だった

御三卿の在り方は独特なものでした。
御三家は親藩といえども独立した大名家として扱われました。

しかし、御三卿は独立した藩を形成しておらず、江戸城内に屋敷を構えていました。
それぞれ、江戸城内の近くにあった門の名をとって、「田安」、「一橋」、「清水」と名乗っています。
江戸時代を通じては、将軍家の一門として扱われ、独立した藩ではありませんでした。

明治維新後の御三卿の扱い

しかし、明治維新を経て、御三卿はそれぞれ独立した一家として扱われ、華族に列せられました。
そのため、「田安藩」、「一橋藩」、「清水藩」といった呼び方をされることもあります。
このような歴史的な経緯があるからか、御三卿の家臣については、どのように扱われたのか疑問が多いです。

御三卿の家臣だった先祖は士族か?

ご先祖が、御三卿に仕えていた武士だったという場合には、先祖の身分について、詳しく知りたいと思うのではないでしょうか。

御三卿の家臣は、幕府から出向する形が多く、もともと旗本や御家人といった立場だった人が多いです。

御三卿の家臣たちは、明治維新後に、「士族」になっています。
家系図の作成をされる方には、しばしば戦前の族籍を調べたいという方がいらっしゃるので、明言しておきます。

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