門跡寺院とは何か?

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門跡寺院とは

家系図を作成するには、いろいろな歴史的な知識が必要です。
本格的な家系調査をするとなれば、先祖の菩提寺がどこにあったのかを、調査をすることになります。
菩提寺の特定ができなければ、墓石の調査や過去帳の調査がおこなえません。

自分のご先祖が暮らしていた地域には、どういった寺院があったのかを知るのは、大変重要なことです。
寺院の歴史は、その地域の歴史と重なる部分があるからです。
また、菩提寺がどういった由緒を持ち、どれくらいのランクのお寺かというのも重要な点になってきます。こちらの記事では門跡寺院とは何かについて説明します。

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天皇と門跡寺院の関係

江戸時代、最も寺格の高かった寺院には、門跡号(もんぜきごう)が付与されていました。

門跡寺院とは、宮家や貴族出身の僧が住職を務めた有力寺院のこと、と理解されると分かりやすいと思います。

天皇によって門跡号は、与えられました。
仁和寺、大覚寺、三千院、青蓮院、円満院、三宝院、勧修寺などをはじめとする、大寺院が門跡寺院となっております。

宮門跡と、京都仁和寺

門跡寺院の多くは、京都の寺院です。
特に、仁和寺は、こうした門跡寺院の中で、最も格式の高かった寺院です。
終戦後、昭和天皇が退位して、出家するのではないかと噂されていたほどです。

仁和寺は「宮門跡」というもので、宮家出身の僧によって代々受け継がれてきた寺院です。
仁和寺の住職のことを、仁和寺門跡と言います。
もともと宮家の出身者ということで「仁和寺の宮」と、呼称されました。

尼門跡

宮家や貴族の息女が住職を務める、「尼門跡」というものもありました。
門跡号を受けている寺院のうちで、代々、尼僧によって住職を受け継がれた寺院です。
中宮寺、妙心寺、法華寺、本光院などがこれにあたります。

華族になった門跡

また、一向宗系の有力寺院も門跡号を下賜されております。
東西本願寺、錦織寺、専修寺、仏光寺、興正寺です。
これらの寺院の門跡は、世襲制でした。

したがって、代々の門跡は、宮家や貴族の子弟ではありません。
しかし、これらの寺院の門跡は、代々摂関家の猶子(ゆうし)になっていたので、貴族の子弟であるとも言えるのです。
猶子(ゆうし)とは、養子のようなものと理解されて良いかと思います。

明治4年(1871年)の太政官布告(だじょうかんふこく)によって、制度としての門跡号は廃止されることとなりました。
これらの門跡の家系は世襲制だったために、明治初期には、すべて華族に叙せられました。

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