摂関家とは?五摂家の家格と現在は?

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摂関家の意味と、五摂家とは

日本史を勉強していると摂政(せっしょう)関白(かんぱく)というのが出てきます。
摂政や関白というと、朝廷(公家社会)の最高位にあたります。
摂政や関白の地位は、藤原氏の子孫によって占められてきました。

鎌倉時代以降になると、藤原氏のなかで特に力を持った、藤原道長の流れを汲む、五つの家によって、その地位は占められてきました。
この五つの家をまとめて、五摂家(ごせっけ)と言います。
近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家です。

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豊臣家が摂関家に加わる

安土桃山時代になると、羽柴秀吉が近衛家当主・近衛前久の養子になることで、豊臣家が創立されます。
そして豊臣家は、六番目の摂関家となります。
豊臣秀吉は、関白の地位を、豊臣家によって代々世襲させる意向でした。


豊臣秀吉

摂関家の家格は、極めて高い

しかし、徳川家康によって豊臣家は滅ぼされてしまったので、その後は、また五摂家によって独占されることになります。
関白の職務は、実質上天皇と変わらず、大変高い地位にありました。
そういったことから、摂関家の地位は極めて高く、天皇を除く宮家よりも高位にありました。

摂関家と宮家の地位は、明治維新で逆転

ところが、明治維新になると、摂関家と宮家の地位は逆転します。
宮家のほうが摂関家よりも序列が上になるわけです。
明治時代の身分序列では、皇族・華族・士族・平民という序列です。

宮家は皇族ですので、華族である摂家よりも上位にあるということになります。
摂関家は、華族のなかで、最も地位の高い公爵に叙せられました。
明治時代以降、朝廷は廃止されたので、旧摂関家の存在感は次第に薄れていきました。

現在の感覚では、江戸時代以前において、宮家よりも摂関家のほうが、序列が高かったということに違和感を覚えます。
しかし、歴史的に見ると、摂関家の地位が極めて高かったのは、ごく自然なことなのです。

摂関家・五摂家の戦後と現在

戦争に敗れ、GHQの政策によって華族制度が廃止されることで、摂関家は特権を奪われます。
宮家の多くも、臣籍降下しました。

結局、摂関家には、何の特権も残りませんでした。
これには、かなり面食らったようです。
華族の多くが平民となっても、摂関家は何がしかの特権的な地位を、与えられるのではないかという期待があったようです。

※なお、摂関家の現在については、下記の記事も参考になると思います。

華族の意味と、現在の生活について


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