同じ苗字で結婚するのはなぜ?
昔の戸籍を見ていると、同姓の家系同士が、結婚や養子縁組をしているケースが多く見受けられます。
そうしたときに、疑問に思うのは、“同じ苗字だから親戚じゃないのか?”ということだと思います。
今回は、そうした事例の分析をしています。
皆さんの家系にもあてはまるケースかもしれないので、是非、読んでみてください^^
親戚同士で結婚したのか?
Q、
私の曽祖父は、大橋岩之丞という名前の、地元の藩に仕える武士でした。安政年間(1854年~1860年)の生まれです。
大橋家の先祖は、西暦1700年頃に、移封となったお殿様に従って、移住してきたといいます。
我が家には、祖父がとっておいた明治19年式の戸籍が残っていまして、そこには「士族」と書かれています。
戸籍を読むと、大橋岩之丞の娘が、同じ村に住む「平民:大橋直義」に嫁いでいることがわかりました。
大橋直義について調べてみますと、地元の小学校の校長先生をしていたことが分かりました。
この大橋直義という人は、同じ苗字ですから、もともと同じ先祖を持った一族なのかなと考えていますが、どうでしょうか?
家系の知識を総動員して、謎をさぐる
A、
武士の家から、農業、商工業などの家に分家することは、江戸時代初期以降、明治維新に至るまでは、ほとんどありません。
大橋家は、江戸時代中期に移住されてきた家柄ですね。
そうすると、ふたつの大橋家の先祖が同一のものであるとするならば、明治以降に分かれていないといけない事になります。
「士族」の家から旧民法上の「分家」をすると、族籍は「平民」になります。
つまり直義さんの家系が、士族である岩之丞さんの家系から分家している、ということです。
整理して考えてみますと、明治維新から、明治19年式戸籍編製までの期間に、直義さんの系統が分家しているのでなければ、両家が先祖を同じくする大橋家である、とは言えなくなります。
直義さんというお名前は、武士っぽいお名前なので、おそらく武士の子どもではないかなと思います。
さらに直義さんの職業も有力な情報です。
明治時代の先生は、武士の子どもが多かったです。
以上の推察からしてみますと、直義さんは「平民」となっていますが、武士の系統をひいている可能性が高いと思います。
同姓で結婚していることを考えると、おそらく直義さんの父が、岩之丞さんの弟で、分家した際に「平民」になって、二つの大橋家に分かれたのではないかと考えます。