濱口雄幸内閣の金解禁政策とは?ロンドン海軍軍縮条約と統帥権干犯問題とは?
浜口雄幸内閣というと、
金解禁政策とロンドン海軍軍縮条約が
あげられるかと思います。
浜口雄幸が総理大臣だった頃は、
昭和のはじめで、
震災と昭和金融恐慌から持ち直してきた時代で、
非常に難しいかじ取りをしなければなりませんでした。
軍部の専横もあり、
外交面や安全保障面でも
難局に立ち向かわなければならなかったのですが、
今回は、
浜口雄幸の金解禁政策、そしてロンドン海軍軍縮条約と統帥権干犯問題について見ていきましょう。
浜口雄幸内閣の金解禁と緊縮財政政策
浜口雄幸は金解禁に踏み切った首相ということで、
歴史に名前をのこしています。
金解禁政策は、
ものすごく簡単に言うと、
通貨に担保される形として貯蔵されていた金の国外流出を、規制しないというものです。
これを金解禁といいます。
浜口雄幸といえば、
緊縮財政で知られていましたし、
金解禁という政策は、
どちらかというと
当時の二大政党の政友会と民政党という比較の上でいうと、
民政党のかかげる政策でしたが、
寺内正武首相が、
金解禁を禁止してから、成立した内閣は、
金解禁をいつするか、ということを考えていました。
浜口雄幸内閣にいたるまで金解禁ができなかった理由
しかし、
金解禁政策というのは、
国民生活にとっては、あまり良いことがないと見られ、
経済を混乱させる懸念がありました。
そうしたこともあって、
震災や昭和金融恐慌という、
日本経済も大変な時期には、
どうしても先延ばしせざるをえなかったのです。
浜口雄幸内閣の大蔵大臣、井上準之助
浜口雄幸が金解禁に踏み切れたのは、
ライオン宰相の異名をとったほどの、
すばらしい胆力によるものでしょう。
浜口雄幸が大蔵大臣に起用したのは、
井上準之助でした。
井上準之助は、
銀行家であり財界を代表するような人物です。
井上準之助は、
金解禁について、消極的な発言も過去におこなっていたのですが、
浜口雄幸の人間的な魅力が大きかったのでしょうか。
大蔵大臣に就任し、
金解禁をこころみることになります。
浜口雄幸の金解禁の是非は、
現在でも評価がわれているようですが、おおむね評価する向きが強いです。
浜口雄幸と、海軍軍縮条約締結、統帥権干犯問題
浜口雄幸は、
金解禁に踏み切るする一方で、緊縮財政をすすめました。
当時の世界情勢を見ると、
第一次大戦後の軍縮の時代であり、
浜口雄幸内閣も、ロンドン海軍軍縮条約締結にむけて、
軍事費の削減をすすめました。
これによって、
海軍の軍人たちから反発を受けることとなりました。
結果として、
浜口雄幸は、
統帥権干犯問題の渦中で、倒れることとなります。