『ねじまき鳥クロニクル』にみるファミリーヒストリー
以前、ファミリーヒストリー(家族史)を作るのは、小説を書くことに似ていると書きましたので、それをうまく説明できたらと思いまして、こちらの記事に致しました。
参照記事
ファミリーヒストリーの調査方法
村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』を参考にしながら、説明していきたいと思います。
村上春樹さんといえば、日本を代表する純文学作家ですね。
実は村上春樹さんの作品には、登場人物の家系が多く示されているものが多いです。
その一例を『ねじまき鳥クロニクル』のなかから紹介したいと思います。
『ねじまき鳥クロニクル』の登場人物
まずは、簡単にこの小説の登場人物を整理しておきましょう。
主人公・岡田亨(おかだ・とおる)は、30歳の無職の青年です。
叔父が所有する世田谷区の借家に妻と猫と一緒に暮らしています。
妻・岡田クミコは、編集者をしています。旧姓・綿谷(わたや)。
妻の兄・綿谷ノボルは、経済学者で、新聞やテレビなどでも活躍しています。
岡田亨の家系
主人公・岡田亨は、綿谷家の人たちからは、よく思われていません。結婚する際には、身元調査をされました。
その際に、岡田亨は自身の家系について次のように回想しています。
僕の家には良くも悪くも特筆するような家庭的背景はなかった。(中略)
自分の先祖が江戸時代に何をしていたかなんて、そのときまで僕はまったく知らなかった。彼らの調査によれば僕の先祖には傾向的に僧侶や学者が多かった。教育程度は全体的に高かったけれど、現実的有用性には(つまり金を作る才能には)あまり恵まれていなかった。
岡田亨と先祖とのつながり
岡田亨はドストエフスキーを読んだり、ロッシーニを聴いたりと文化的で教養のある人物ですが、法律事務所に勤めた経験があるものの、現在は職に着いておらず、将来の見通しもありません。
つまり岡田亨自身も“教育程度は全体的に高かったけれど、現実的有用性には(つまり金を作る才能には)あまり恵まれていない”という先祖の気質を受け継いでいるわけです。
これは“先祖とのつながり”として解釈できるものです。
綿谷家の家系
それに比べると、妻・クミコの実家である綿谷家の人たちは、ずいぶん違っています。
彼女の父親は役人だった。新潟県のあまり裕福とは言えない農家の次男坊だったのだが、奨学金をもらって東京大学を優秀な成績で卒業し、運輸省のエリート官僚になった。それだけなら僕も立派なことだと思う。しかしそういった人物が往々にしてそうであるように、ひどくプライドが高く、独善的だった。命令することに馴れ、自分の属している世界の価値観をみじんも疑うところがなかった。
妻・クミコの父親に関する記述です。
この文章だけで、クミコの父親の個人史といえますね。
次にクミコの母親に関する記述も見てみましょう。
母親の方は東京の山の手で何の不自由もなく育った高級官僚の娘で、夫の意見に対抗できるような意見も人格も持ち合わせていなかった。(中略)
そのようにして、彼女は夫の省内での地位と、息子の学歴だけしか目に入らない狭量で神経質な女になった。
かなり辛辣に書かれています(笑)
ここで注目すべきなのは、夫婦とも高級官僚の家系であり、とてもプライドが高く、狭量な価値観しか持っていないということです。
テレビドラマなどにも出てきそうな家庭環境ですね。
ややステレオタイプですが、エリート主義に徹した家庭のあり方の一つを示しているように思います。
綿谷ノボルの生い立ちは?
この二人のあいだに生まれたのが、主人公の妻・クミコであり、妻の兄・綿谷ノボルです。
綿谷ノボルの記述も見てみましょう。
そのようにして両親は幼い綿谷ノボルの頭の中に彼らの問題に満ちた哲学や、いびつな世界観を徹底的にたたき込んだ。(中略)
優秀な成績を取れば、彼らはその褒美として息子が望むものを何でも買って与えた。おかげで彼は物質的にはきわめて恵まれた少年時代を送った。しかし人生における最も多感で傷つきやすい時期に、彼にはガールフレンドを作る暇もなく、友だちと羽目を外して遊ぶ余裕もなかった。(中略)
いずれにせよそのようにして彼は優秀な私立高校から、東大の経済学部へと進み、優等に近い成績でそこを卒業した。(中略)
彼はイェールの大学院に二年間留学し、それから東大の大学院に戻った。日本に戻ってしばらくしてから両親に勧められるままに見合いをして結婚したが、その結婚生活は結局二年間しか続かなかった。離婚すると彼はそのまま実家に戻って、両親とともに暮らすようになった。そして僕が初めて彼に会ったころには、綿谷ノボルはかなり奇妙で不愉快な人物になっていた。
綿谷ノボルがどういった人物であるのかがよく分かりますね。
そして、彼の性格や思考様式は、両親による影響を大きく受けていることが分かります。
綿谷ノボルから見れば、父は官僚、母方の祖父も官僚ですから、生まれながらにしてエリートとしての宿命を背負っていたと考えられます。
彼は、こうした家系に生まれたプレッシャーもあるなかで、両親の期待に応えました。
綿谷ノボルの生き方は、両親の影響を受けている。
つまり「先祖とのつながり」を見出すことができます。
妻・クミコの生い立ちは?
さらに、主人公の妻・クミコについての記述も見てみましょう。
僕の妻と綿谷ノボルは兄妹と言っても、年齢が九歳も離れていた。それに、幼い頃、何年間かクミコが父親の実家に引き取られて育てられたせいもあって、二人のあいだには兄妹の親しさのようなものはあまり見受けられなかった
祖母とクミコの母親とのあいだには長年にわたる激しい確執があり、クミコが新潟の実家に引き取られたのは、いわばその両者のあいだの暫定協約のようなものだった。
クミコの生い立ちが分かります。
母と新潟の祖母とのあいだの確執という家族の問題に、クミコは巻き込まれてしまったのでした。
このように「家族の歴史」と「個人の歴史」はリンクするようになっています。
ファミリーヒストリーの作り方
このように優れた小説では登場人物を、その背後にある生い立ちや、家族の歴史まで踏み込んで人物設定がなされています。
家族史(ファミリーヒストリー)をまとめる場合には、小説を書くように、勝手に事実を創作してしまうのはいけませんが、どうしても自分の意識が入ってくる場合があります。
これを「解釈」といいます。
事実はひとつでも解釈次第によって、見方が異なってくるのです。
単に事実を羅列するのではなく、解釈の余地を残す、物語性をもたせるという機能が、「歴史」には備わっているのだと思います。
特に、事実を確かめようがない場合には、自分自身で解釈するほかないわけですね。
こうしたことも考えながら、ファミリーヒストリー(家族史)の製作にあたっていきましょう。