戦前における山の手地域の拡大と中流階級

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明治大正昭和初期における山の手地域の場所はどこ?山の手居住者の中流階級とは?

戦前の先祖を調査していると、
先祖の居住地が東京の中心部だったという方は、
それほど多くいないと思います。

東京のみならず、
大阪や京都、名古屋や仙台、札幌や福岡といった
大都市圏に
先祖代々居住していた、という家系は珍しいです。

昨今は
東京一極集中といったことがよく言われますが、
明治から昭和戦前のころは、
東京や大阪んどの大都市に、
定住するというのは、
あまり一般的ではありませんでした。

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山の手地域に居住している職業は?

その理由は、明治時代から戦前の産業構造そのものにあります。
明治時代に日本は近代化したとはいえ、
主力産業は依然として農業でした。

明治時代の就業人口を見ると、
農業に従事している方の割合が現在に比較してとても多いです。

明治から大正、昭和戦前に
東京や大阪、名古屋などの都市部の居住者は、
江戸時代からの在住者をのぞいては、
会社員や官吏、軍人、学者、医者といった近代的な職業についていた方が多いです。

中流階級が、山の手の住宅街に住んだ

こうした職業の方は、戦前の日本の中流階級を形成しました。
中流階級というのは、
真ん中の階級というのではなく、むしろ上位の階級であり、昭和前期でも全体の1割くらいだと思われます。

このような中流階級の方が住んだ地域が、
いわゆる山の手と言われる地域です。

東京における山の手とは、もともとは麹町や赤坂、四谷といった、東京都心部を指し示していたのですが、
時代が下るにつれて、山の手の領域は拡大していきます。

山の手地域の拡大と、先祖調査

鉄道会社が主体となって、東京の南西部に良質な住宅地が開発され、「山の手」は拡大していきました。
田園調布や成城といったあたりは山の手の住宅街として、
代表的な町ですが、目黒区や世田谷区をはじめ、荻窪や吉祥寺など中央線周辺も新興住宅街と化していきます。

山の手在住者の多くは、なんらかの資料に名前を見出せる方が多いです。
さまざまな文献資料を見ることで、ご先祖さまの暮らしぶりを想像することができるのではないでしょうか。

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