武者小路実篤の家系図と子孫!父親は公家で兄弟はドイツ大使!妻との結婚・離婚・再婚!子供は娘?息子?家族構成!
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)。
白樺派を代表する作家であり、
志賀直哉の親友でした。
武者小路実篤の文学は、
現在でも課題図書としておなじみですね。
武者小路実篤といえば、
理想郷をつくろうと奔走し、
「新しき村」を作りました。
稀有な文学者である
武者小路実篤の家族や家系図、
あるいは子孫の方はどのような方なのでしょうか。
この記事では
武者小路実篤の父親と母親、息子や娘など
家系図や子孫の現在などの事柄について、書いていきます。
武者小路実篤の先祖は、公家の武者小路家で武者小路千家との関係は?
武者小路実篤の先祖についてですが、
武者小路実篤は、
藤原氏の子孫の名流の貴族階級の出身です。
武者小路家は、
公家の名門でありました。
よく指摘されることに、
武者小路実篤と、茶道の武者小路千家は親戚関係あるのか、
といったものがありますが、
これは違います。
茶道の武者小路千家は、千利休の子孫の家系であり、
武者小路実篤の家系とは別の系統です。
武者小路千家家元(千宗守)の家系図や妻、娘?息子・千宗屋の結婚は?
武者小路実篤の父親は、華族だったが貧しかった
武者小路実篤の父親は、
どのような人物かを整理します。
武者小路実篤の父親の名前は、
武者小路実世といいます。
1851年生まれで、岩倉使節団の留学生としてドイツ駐在の経験もありました。
麹町区議会議員や、熊谷裁判所の判事などをしていましたが、
1887年になくなられています。
武者小路実篤が2歳の時のことでした。
武者小路実世は、江戸時代の公卿の家柄ということで、
旧華族身分で子爵でした。
現在の千代田区麹町で
武者小路実篤は生まれており、
華族の家庭出身ということで、
学習院初等科から中等科、高等科に学びますが、
親友の資産家の息子である志賀直哉の家系のように
実家がお金持ちといったわけではなかったようです。
もちろん、
当時の庶民層に比べれば富裕だったと思われますが、
武者小路実篤の家系は、
華族といっても、内実は貧しい公家であり、
大名華族や財閥、財界人の子供たちに比べれば、
かなり質素な暮らしぶりだったようです。
武者小路実篤の母親の先祖は、公家の勘解由小路家
武者小路実篤の母親は、
秋子(なるこ)さんという名前です。
武者小路実篤の母親は、
勘解由小路資生の娘でした。
武者小路実篤の母親の実家、
勘解由小路(かでのこうじ)家も、公家の家系で、
明治時代には華族(子爵)になっています。
なお、
母方・勘解由小路家のいとこが志賀直哉と結婚しているので、
武者小路実篤と志賀直哉は親戚同士になります。
志賀直哉の父親、子孫の家系図!妻と息子と娘?祖父母と兄弟、家族は?武者小路実篤の母親は、
8人の子供を産みましたが、
早世したものが多く、
成長したのは3人のみでした。
武者小路実篤の兄は、駐在ドイツ大使の武者小路公共
武者小路実篤の兄の、
武者小路公共(むしゃのこうじきんとも)は、
東京帝大独法科卒の外交官で、
昭和9年には駐独大使に就任し、
日独防共協定の全権として調印しています。
戦後は
宮内省宗秩寮総裁をつとめ、
80歳まで長生きしました。
武者小路実篤の甥に、国際政治学者の武者小路公秀がいる
武者小路実篤の甥っ子には
学者がいます。
兄の武者小路公共の長男は、
フランス文学者で東大教授だった、
武者小路実光さんです。
そして
武者小路公共の三男が、
国際政治学者の武者小路公秀さんです。
武者小路公秀(1929-2022)さんは
学習院大学政経学部卒。
上智大学教授や明治学院大学教授などをつとめました。
武者小路実篤の姉の伊賀子は
武者小路実篤の6歳年上の姉でしたが、
東京女子高等師範学校教授の平田敏雄と結婚したもの、
20歳でなくなられてしまいました。
武者小路実篤の家系図!妻と子供は?
それでは
武者小路実篤の妻や子供、
家族構成を見ていきたいので、家系図を紹介します。
武者小路実篤 1885-1976
明治18、子爵武者小路公共弟
大正14、分家する
東大哲学科中退
作家
貴族院議員先妻:武者小路房子 1892-1990
福井、衆議院議員、竹尾茂の三女
日本女子大学付属女学校中退後妻:武者小路安子 1899-1976
旧幕府旗本、静岡士族、飯河安信の長女長女:武者小路新子
1923
神奈川、木村龍蔵と結婚二女:武者小路妙子(後述)
1925三女・武者小路辰子
1928
和光大教授、武者小路穣と結婚※家系図は敬称略
武者小路実篤の先妻と後妻
武者小路実篤の先妻は、
衆議院議員の竹尾茂の娘でした。
武者小路実篤の妻は、
新しき村に出入りしていた方と、親しくなって、
それが原因で
武者小路実篤とは離婚することになりました。
しかし
離婚後も
武者小路実篤と先妻との関係は、良好だったようで、
武者小路実篤は、先妻と先妻の夫となった男性二人を、
自分の養子として、武者小路の苗字を名乗らせたそうです。
武者小路実篤の後妻の安子は、
旧幕府旗本の家系、飯河家の出身でした。
妻の父親、飯河安信は旭製紙取締役をしています。
武者小路実篤の娘3人は、後妻とのあいだの子供
武者小路実篤の子供は
娘が3人で、すべて後妻とのあいだの子供です。
武者小路実篤の三女は、
歴史学者で和光大教授の武者小路譲と結婚。
武者小路譲は、
もともと武者小路家の親戚の久保田家に生まれた方でしたが、
武者小路実篤の父親の叔父、武者小路公敏の息子、武者小路敏雄の養子になっていた方でしたので、
親戚同士で結婚したのでした。
武者小路実篤の次女は、安宅安五郎の息子と結婚
そして
武者小路実篤の次女が、婿を取って
武者小路実篤の家系を継ぎました。
武者小路実篤の次女の夫は、
洋画家の安宅安五郎の三男、
安宅侃三郎でした。
家系図で確認していきます。
武者小路侃三郎さん
1926 洋画家・安宅安五郎三男、武者小路実篤養子
東京美術学校卒
新東宝勤務
喫茶店、画廊経営妻:武者小路妙子さん
1925 武者小路実篤二女
明星学園高女卒男:武者小路知行さん
明星学園高校教諭
武者小路実篤記念館運営事業団理事長
武者小路実篤の子孫の現在
武者小路実篤の子孫には
武者小路実篤記念館の運営にかかわられる、
武者小路知行さんがいます。
また、
武者小路実篤の子孫には
次女の娘は、
元バレリーナの武者小路有紀子さんで
歌舞伎役者の四代目中村梅玉さんの妻となっています。
武者小路実篤の子孫は、
文学のみならず、いろいろな方面で活躍されているようです。
というわけで、
武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の父親と母親、息子や娘など
家系図や子孫の現在などの事柄について、書いてみました。