阿南惟幾の子孫の現在と家系図!息子や娘、妻や子供、自宅の場所は?

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Kanenori / Pixabay

阿南惟幾陸軍大臣の家系図は?自宅の場所や子孫の現在は?妻の名前や子供は何人?息子や娘は?

陸軍大将の
阿南惟幾(あなみこれちか)は、
終戦時に陸軍大臣をつとめたことで、
よく知られている人物です。

強硬派が多い
当時の陸軍の青年将校たちをよくとりまとめ、
終戦に導いたということで、
最近では、
評価される向きが高まっているようです。

この記事では、
終戦時の陸軍大臣をつとめた、
阿南惟幾(阿南これちか)陸相の
家系図と子孫の現在、家族構成に関する事柄について
見ていきたいと思います。

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阿南惟幾の自宅の場所は三鷹市下連雀

はじめに
阿南惟幾陸軍大臣の、
自宅の場所はどこかといったことから、
見ていきます。

阿南惟幾の自宅住所は、
現在の東京都三鷹市下連雀(しもれんじゃく)にありました。

阿南惟幾の自宅があるあたりは、
昔は軍人通りと言われていて、
陸軍の将官や佐官といった高級将校が、
多く住んだ地域です。

現在でも、
三鷹市下連雀は、
東京都心に近い高級住宅街として有名ですが、
戦前から、
政治家や軍人、財界人などが住んでいた町なのですね。

阿南惟幾の自宅住所あたりは、軍人が多く住む

なお
阿南惟幾の自宅の近くには、
竹下平作陸軍中将や、小泉恭次陸軍中将、

それから
作家の太宰治や、
女官長をつとめた島津治子(島津男爵家夫人)、
津和野藩の亀井伯爵家、
美智子上皇后の母方の実家である副島家など、
華族や財界人、文化人も多く住んでいました。

三鷹市下連雀の
阿南惟幾の自宅の場所には、
現在でもご子孫の方が、お住まいだそうです。

阿南惟幾の家系図と父親の名前と職業は?

では
阿南惟幾の家系図に関して、
見ていきます。

阿南惟幾の父親の名前は
阿南尚といいます。

阿南惟幾の父親は
大分県の出身であり、
職業は内務省の官僚でした。

阿南惟幾の父親は
乃木希典陸軍大将とも知り合いだったそうです。

阿南惟幾の兄弟姉妹は?

阿南惟幾の家系図について、整理していきます。

まずは
阿南惟幾の兄弟姉妹についてですが、
阿南惟幾の妹には、
金子有道男爵の妻になった方と、
貴族院議員の井芹康也の妻になった方がいます。

阿南惟幾の家系図は、
さすがに陸軍大臣の家系とあって、
戦前の有力者の家系と結びついているようです。

阿南惟幾の子供は何人?息子と娘は?

では
阿南惟幾の妻や子供といった家族構成について、
見ていきます。

阿南惟幾は妻との間に
7人の子供がいました。

息子が5人で娘が2人です。

7人も子供がいるというのは
現代ではかなり子だくさんですが、
当時としては、一般的な人数でした。

阿南惟幾の妻の名前や家系は?

阿南惟幾の妻は
どういった方なのかをまず見ていきましょう。

阿南惟幾の妻の名前は
阿南綾子さんといいます。

阿南惟幾の妻も、
軍人の家系に生まれた方です。

阿南惟幾の妻の父親は、
陸軍中将の竹下平作です。

そして
阿南惟幾の妻の兄弟も、
陸軍の軍人で、
陸軍中佐の竹下宣彦と、
陸軍中佐でのちの陸上自衛隊陸将の竹下正彦は、
妻の兄弟にあたります。

阿南惟幾の息子や娘の名前と職業は?

阿南惟幾の子供は、
どういった方なのか、
子孫にはどのような方がいるのか、
といったことについて見ていきます。

阿南惟幾の子供について、
順番に見ていきます。

阿南惟幾の子供は、

長男:阿南惟敬(これひろ) 1921年生まれ
陸軍士官学校卒 防衛大学校教授

次男:阿南惟晟 1923年生まれ
陸軍士官学校卒 陸軍中尉

三男:阿南惟正 1933年生まれ
東大法学部卒
新日鉄副社長、太平工業会長

四男:阿南惟道 1937年生まれ
東大法学部卒 野間家に婿養子へ

五男:阿南惟茂 1941年生まれ
東大法学部卒
駐在中国大使

長女:阿南喜美子 1926年生まれ 総理府総務副長官:秋富公正と結婚

次女:阿南聡子 1936年生まれ 王子製紙会長:大国昌彦と結婚

阿南惟幾の子供については、
とても優秀な方が多く
陸軍士官学校や東京大学という、
名門大学の出身者が多くおります。

阿南惟幾の息子は、元講談社社長の野間惟道

阿南惟幾の息子のなかで
特に有名なのは、
阿南惟幾の四男である
野間惟道(野間家に婿養子入籍)さんです。

野間惟道さんが養子入籍した野間家は、
講談社の創業家一族でした。

講談社、野間一族の家系図!野間省伸氏ら歴代社長の妻や子供、兄弟!

野間惟道さんは、
講談社4代社長である野間省一の娘である、
野間佐和子さんと結婚し、
講談社の社長を務められました。

阿南惟幾の子孫は、皇室とつながりがある

野間家の先祖には、
皇族や華族につらなる方もいるので、
阿南惟幾の現在の子孫は、
皇室の流れも汲んでいることになります。

阿南惟幾の息子、
野間惟道の妻、野間佐和子さんの曾祖父が、
賀陽宮邦憲王であり、
賀陽宮邦憲王の姪が、
昭和天皇の皇后である香淳皇后ということで、

阿南惟幾の家系図は、
現在の皇室にもつながるのですね。

阿南惟幾の息子は、元中国大使

それから
阿南惟幾の五男、
阿南惟茂さんは、
外務省アジア局長や、駐在中国大使を務めた外交官です。

また
阿南惟茂さんの妻は、
歴史学者の阿南ヴァージニア史代さん。

そして、
息子さんは
中国政治史専攻の東北大学教授の
阿南友亮さんです。

阿南惟幾の子孫にはいろんな方がいらっしゃるのですね。

というわけで、
終戦時の陸軍大臣をつとめた、
阿南陸軍大臣の
家系図と子孫の現在、
家族構成に関する事柄について見てきました。

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