原敬の子孫の家系図は?妻や子供は?養子?家族構成や先祖は?

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LittleMouse / Pixabay

原敬の家系図は?子孫は?嫁や子供、家族構成は?養子相続?実家は盛岡藩士?

政党政治の、
幕開けともいわれる
大正デモクラシー
主導した政治家、
原敬(はらけい)。

政友会総裁として、
その後の
日本政治史に
大きな功績を残した、
原敬については、

現在でも
いろいろな
研究がされています。

今回は
この記事では、
原敬(はらけい)の家族や家系図に着目し、
「先祖や実家は?妻や子供は?養子相続で子孫の現在は?」
といった事柄について
整理していきたいと思います。

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原敬の先祖や家系図は?

原敬の家系について、
まずは
確認しましょう。

原敬の先祖は、
岩手県盛岡藩の武士の家系で、

原敬の先祖は、
代々盛岡藩に
仕えてきたのでした。

原敬の先祖は、
上級武士であり、
原敬の祖父の代には、
家老を務めるほどの
家柄でありました。

原敬は平民宰相であり、華族ではないが…

原敬の
家系や家柄に関する
エピソードですと、

平民宰相という言葉で
語られるように、

明治・大正時代の
多くの
総理大臣が公爵や伯爵、
というような爵位を得て、
華族に列せられていたのに対し、

原敬は
爵位を持たなかったので、
「平民宰相」との異名をとったことが
広く知られています。

原敬は盛岡藩、上級藩士の家系出身

ただ、
原敬の出自は、
もともとは
岩手盛岡藩の家老を務めるほどの
上級武士の家系であり、

原敬が
旧民法上における
「平民」となったのは、

原敬が
分家をしたから、
というのが理由なので、

原敬は、
たしかに「平民」ではあったのですが、
庶民階級の出身、
というわけではなかった、
と言えます。

原敬の妻は?子供は何人?

それでは
原敬の
妻や子供といった
家族構成を、

家系図で、
見ていきましょう。

原敬(はらけい)
安政3、岩手県士族・原恭弟
明治8、分家して一家を創立
司法省法律学校卒
衆議院議員、第19代内閣総理大臣

妻・貞子
薩摩藩士・中井弘長女

妻・あさ
明治4、東京、菅野弥太郎の娘

養子・彬
明治25、兄・原恭の三男

養子・貢
明治35

原敬の妻は、
先妻と後妻がいます。

原敬の先妻は、
薩摩藩士の家系であり、
後妻は、
岩手県出身の方です。

そして
原敬の子供についてですが、
原敬に
子供はいません。

原敬は養子をとり、家系を存続

しかし、
原敬は親戚の子を
養子にして、
家系を継がせました。

ということなので、
原敬の子孫は、
養子相続という形で
存続したのです。

原敬の子孫、
として最も知られているのは、

原敬の養子の、
原貢(原奎一郎)です。

原敬の養子、原貢の家族や家系図は?

原貢(原奎一郎)は
原敬の姪・エイの次男にあたります。
(原敬の兄、原恭の孫)

生まれは大阪府で、
慶應義塾出身、
イギリス留学をした
ジャーナリストです。

原敬の養子、
原貢(原奎一郎)の家系図
このようになります。

原貢(原奎一郎)
明治35、岩手県士族・上田常記の二男、原敬の養子
慶應義塾予科出身
英国遊学
著述業、同盟通信社嘱託

妻・久子さん
明治39、東京、政尾隆次郎氏妹

長女・ミサ子さん
昭和2

原敬の子孫の家系は、
原貢(奎一郎)さんの娘さんの代に
婿養子相続され、
現在に
継承されているといいます。

というわけで、
原敬(はらけい)の家族や家系図に着目し、
「先祖や実家は?嫁や子供は?養子相続で子孫の現在は?」
といった事柄についてお送りしました。

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