戦前の内務省や大蔵省などのエリート官僚の地位は?明治大正昭和戦前期の官僚制について
戦後の日本社会において、
上級職の官僚というと、
日本のトップエリートとして知られていますが、
これは戦前の日本社会においては、同じことです。
もっと正確に言うと、
戦前の官僚の地位は、
戦後のそれよりも、比べ物にならないくらい高い地位だったようです。
この記事では、
戦前の官僚の社会的地位や、
官庁の中の官庁といわれた内務省の官僚について、見ていきたいと思います。
戦前官僚のエリートは、大蔵省ではなく内務省?
戦後長らく東大法学部出身の官僚、
とくに大蔵官僚(現在の財務官僚)が日本を支配した、
といったように言われることがありますね。
戦後の大蔵省支配というのは、よくマスコミでも言われますが、
戦前においても大蔵省が最も優位だったのでしょうか。
戦前には、内務省、外務省、司法省、文部省、大蔵省、農林省、商工省、逓信省、鉄道省などといった官庁がありました。
このなかで、
もっとも影響力を持った官庁は内務省だったと言われています。
戦前の知事は、内務省の官僚だった
内務省は、地方自治をおさえていて、
各県の知事を任命していました。
現在では、知事は公選制ですが、
当時は内務官僚が中央から派遣されてくるわけです。
戦前の知事といえば、
お殿様のような身分だったといいます。
トップの秀才層は、内務省を敬遠したという事実も…
しかし、内務省が数ある官庁のなかで最も秀才が多かったかというと、そうでもないようです。
戦前には政友会と民政党という二大政党があり、
政権交代が繰り返されるたびに、
知事が政友会系、民政党系と入れ替わっていました。
内務官僚たちにとっては、
政権交代のたびに政治の影響を受けるのが、おもしろくなかったようです。
内務省ではなく、大蔵省や農商務省、逓信省を選ぶ秀才も多かった
また、内務省は他の官庁に比べ、それほど出世のスピードが速いとも言えませんでした。
そうした事情もあって、
大正時代以降は
内務省よりも大蔵省や農商務省(のちに農林省と商工省に分離)、あるいは逓信省といったほかの官庁に進んで入る者も多かったようです。