羽鳥慎一は高校野球で活躍!出身高校・横浜平沼高校野球部時代のエピソードとは?
さて、
羽鳥慎一さんといいますと、
現在は「モーニングショー」で
文字通り朝の顔として
ニュースや芸能情報を
わかりやすく報道していますが、
羽鳥慎一さんが学生時代に
アナウンサーになることを夢見て、
晴れて日本テレビに
アナウンサーとして入社した時の希望は、
なんと野球の実況アナウンサーに
なることだったそうです。
羽鳥慎一は、中学高校時代に、野球部に所属!
羽鳥慎一さんと野球、
なんとなくイメージが
つながらない感じもしますが、
羽鳥慎一さんの学生時代は、
野球に明け暮れる毎日だったといいます。
実は羽鳥慎一さん、
中学校時代、高校時代を通して野球部に所属、
文字通り野球にどっぷりの学生時代を
送っていたようなのです!
羽鳥慎一は、横浜平沼高校野球部のエースだった!
羽鳥慎一さんの
中学高校時代のより細かい
野球に関する情報をお話しますと、
まず横浜市立境木中学校時代は
セカンドとして活躍、
そしてその後進学した
横浜平沼高校では投手に転向、
なんとエースとして活躍していた、といいます!
羽鳥慎一の、横浜平沼高校野球部での活躍
しかも横浜平沼高校時代の
羽鳥慎一さん、
なかなかの実力派ピッチャーだったようで、
後にプロ野球選手になり、
1997年と1998年に
2年連続首位打者のタイトルを
獲得することになる
鈴木尚典選手と対戦した時に、
なんと二打席連続で三振を
奪ったこともあったといいます!
すごいですね!
羽鳥慎一は、高校野球で活躍するも、甲子園出場はできなかった…
ちなみに野球部、
高校野球といった話になりますと
甲子園が連想されますが、
羽鳥慎一さんは
横浜平沼高校野球部として、
甲子園に出場したのでしょうか。
気になったので調べてみましたが、
羽鳥慎一さんが
エースとして活躍した
横浜平沼高校野球部は、
夏の甲子園の神奈川大会の予選で、
4回戦まで進出したそうですが、
惜しくも甲子園への出場はかなわなかった、ようです。
羽鳥慎一の出身高校、横浜平沼高校野球部はすごい!
もっとも神奈川県は
日本で一番多くの高校があり、
何と200校を超える高校野球部が
甲子園への出場を目指して
この神奈川県大会にエントリーします!
つまり、
羽鳥慎一さんの出身高校である
横浜平沼高校の野球部は、
そんな日本一競争率の高い地方予選で
4回戦まで進んだのです!
羽鳥慎一さんはじめとする
横浜平沼高校の野球部のみなさん、
すごいですね!
羽鳥慎一は高校時代で、野球部を引退
さて、出身高校である
横浜平沼高校の野球部で
青春を文字通り野球に捧げた
羽鳥慎一さんですが、
その後は
早稲田大学政治経済学部に進学します。
早稲田大学と言えば
東京六大学の一つで、
神宮球場を舞台にした
六大学野球でも有名ですが、
羽鳥慎一さんは
この早稲田大学での学生時代の四年間は、
野球部には入らなかった、ようですね。
羽鳥慎一の「バード」というニックネームは、元野球部員のエースとして…
では、羽鳥慎一さんは
そのまま野球とは全く関係が
なくなってしまったのかといいますと、
そうではありません。
羽鳥慎一さんの
あだ名、愛称はバードといい、
これは羽鳥慎一さんが
日本テレビを退社して
フリーアナウンサーに転向して
司会を務めたテレビ朝日系の番組、
「モーニングバード」にも使われたほど
バードは羽鳥慎一さんにぴったりのあだ名ですが、
このバード、
もともとは
読売巨人軍の四番打者で監督を務めた、
あの原辰徳さんがつけたといいます!
野球の原辰徳さんの言語感覚は、すごい!
原辰徳さんといいますと、
今ではベッキーさんの件から
もっぱらセンテンススプリングと言われている、
あの週刊文春のことを
「シュウカン・ブンパル」と
言ったことがありましたが、
原辰徳さん、独特の言語センスがあるみたいですね!
元横浜平沼高校のエースは、野球界のヒーローから、あだ名をもらって…
原辰徳さんといえば
先ほどもお話したように
ジャイアンツの四番打者ですから、
そんな野球界のヒーローから
自分のあだ名をつけてもらったという
羽鳥慎一さん、
高校野球をやっていたような
元野球少年は、
たまらなく嬉しかったでしょうね!
ということで、
羽鳥慎一さんの、
「出身高校・学生時代・高校野球・横浜平沼高校の野球部時代のエピソード」
をお送りしました。