北野武の実家のファミリーヒストリー、祖母と母親と父親について

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jackmac34 / Pixabay

ビートたけしの家系図と、足立区島根のある家族

今回のファミリーヒストリーは、
年末拡大版として放映されました。
北野武(ビートたけし)のファミリーヒストリーです。

ファミリーヒストリーの番組制作者も、
かなり気合が入っていたのではないでしょうか。

北野武さんのファミリーヒストリーの内容について、
当サイトならではの家系図の専門的知識をまじえて、
感想なども含めてまとめていきたいと思います。

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北野武の先祖は?

北野武さんの先祖について、
あらかじめ分かっていたことは、
祖母・北野うしが、明治時代に女義太夫で、活躍した人物だったということでした

いわば、
北野武さんは、
祖母が芸能人だった、というわけですね。

このように身近に、
有名な先祖がいるわりには、
北野武さんは、両親のルーツをあまり知らないといいます。

どのようなことが、わかるのでしょうか。

北野武の祖母、北野うしとは?

番組では、
北野武さんの祖母・北野うしの調査からスタートします。

ファミリーヒストリーでは、
東京大学に保管されている資料のなかから、
北野武さんの祖母・北野うしについて書かれている資料を見つけ出しました。

資料は、
北野うしの略伝について書かれているものでした。
先祖を調べていく過程で、
とても重要な資料となるものです。

北野武の祖母・北野うしの「略伝」

「北野うし」は、ウィキペディアにも項目がたっています。
ウィキペディアによれば、
明治10年(1877年)に徳島県で生まれた女義太夫の花形で、芸名を竹本八重子という。ビートたけしの祖母である。
といった内容です。

この度のファミリーヒストリーの調査によって、もっと詳しいことが明らかになりました。

番組が調査した資料によれば、
北野うしは、ウィキペディアの記載とは異なり、
明治6年(1873年)生まれだったようです。

とはいっても、
昔の資料は誤植が多いので、ウィキペディアに記載されている「明治10年生まれ」のほうが正しい可能性があります。

そして、出生地について詳しい情報が得られました。
「徳島通町2丁目生まれ」であり、「父親の名前は、北野鶴蔵で、粉屋を営んでいた」と資料中にあります。

ファミリーヒストリー取材班は徳島市の古地図を調査

ファミリーヒストリーの番組取材班は、
徳島県徳島市を訪ねます。

城下町の地図や、古地図などを見て、
土地の歴史を調べています。

このように、
先祖調査では古地図を調べるという作業は、
とても有用なものとなります。

参照記事
城下町の地図調査

北野武の先祖は、徳島市の粉問屋

番組での調査によれば、
北野うしの生家の粉屋は、
うどん粉を扱う粉問屋だったということのようです。

そして、
明治維新以降も、江戸時代と同じ場所で店を開いていたということです。
郷土史の専門家の方によれば、
「明治時代になっても、商売をこの場所で続けられたのは、それなりに資金力があったのではないか」とのことでした。

北野武の曽祖父、祖母、義太夫

北野うしの父親である北野鶴蔵が、つまり北野武さんの曽祖父にあたるわけですが、
この北野鶴蔵が義太夫を好きだったようです。

そして、
娘である北野うしは、父親の影響もあって、義太夫に興味をもち、その道に入ったのでした。

徳島県立文書館での調査においては、
北野うしが浄瑠璃の審査会に出場していたことを示す資料が見つかっています。

北野うしは、
家計を助けるために、明治25年頃からは上京して東京・日本橋などで公演していたようです。

こうして、
北野武さんの祖母の記録が、番組で次々に紹介されていきました。
北野武さんは、「全然知らなかった」といいます。

明治時代の先祖の記録が図書館や文書館などから出てくることは、
一般的な先祖調査では、まずありません。

北野武さんは、祖母が当時の芸能人であったことから、こうした記録が残されていたのです。

北野武の父親・北野菊次郎と、祖母との関係

実は、
北野武さんの祖母・北野うしは、血縁上の祖母ではありません。
血縁上は、大叔母(父親の叔母)となります。

北野武さんの父親・北野菊次郎が、
北野うしの養子になったのです。
北野菊次郎と、北野うしの血縁上の関係は「甥―叔母」という関係ですが、
戸籍上の関係は「養子―養母」という関係になるわけです。

北野武の母親・北野さきのファミリーヒストリー

次いで、
北野武さんの母親・北野さきのファミリーヒストリーへと、番組は進んでいきます。

北野武の母親・北野さきは、
明治37年3月5日、現在の千葉県市原市の出身です。
旧姓は小宮さきといいます。

北野さきの実家である小宮家は、
農業を営んでいました。

ファミリーヒストリーの取材班は、
北野武の母親の先祖の戸籍を入手しています。
番組で示されていたものは、
明治31年式戸籍といわれるものです。

北野武の母方の家系は、
祖父・小宮寅吉、祖母・小宮しん、
長男、小宮常吉、次男、小宮巌、長女・小宮きわ、次女・小宮さき
と戸籍の記載から分かります。

しかし、
北野武さんの母親・小宮さきは、
子供の頃から、苦労して育つことになってしまいます。

北野武の母親・北野さきの子供時代

北野武の母親、旧姓・小宮さきは、生まれてすぐに、母親がなくなり、
そして、
二人の兄と、一人の姉も、
自分が子供の頃になくなってしまいました。

父親と祖父に育てられたといいます。

番組では、
北野武の母親・小宮さきが、通った尋常小学校の記録を調べています。
そこには、
「小宮さき 明治37年3月5日生まれ 住所 五井870番地」と記されていました。

番組取材班は、
旧土地台帳と附属地図の調査をおこない、
北野武の母方の先祖、小宮家について調べています。

旧土地台帳の調査は、
あまり知られていない先祖調査方法ですので、
興味のある方は、是非、試してみてください。

参照記事
旧土地台帳の閲覧

北野武の母親・北野さきは、小学校卒業後、奉公に出る

北野武の母親・小宮さきが、
尋常小学校を卒業するころには、父親もなくなってしまい、
東京の高山という家に奉公に行きました。
(※番組では、高山家は男爵とされていましたが、この件については後述致します)

番組では、
高山家の子孫を訪ねています。
トイレがとても広くて、掃除をするのが大変だったということをお話されていました。

このような、
東京の資産家の屋敷で、
北野武の母親・小宮さきは、トイレ掃除などの雑用の仕事を与えられたのです。

北野武の母親・北野さきは、北野家の嫁となる

そして、
小宮さきにとって、
この高山家において、運命的な出会いがありました。

ある日、
高山家の主人・高山市平が女義太夫を、娘たちに習わせるために、
北野うしを自宅に招いたのです。

北野うしが、
冒頭で取り上げた、北野武の父方の祖母にあたる人物です。

そして、
北野うしは、高山家で奉公していた小宮さきを、
気に入って、北野家の嫁にしたいと考えるようになったのです。

北野武の母親と学歴について

ここまでのVTRを見て、
北野武さんは、しばらく絶句して、その後、以下のような感想をお話されました。

「男爵家とか高山さんというのは聞いていた。
母親は、師範学校出て、子供たちに勉強教えてたって言ってたのに、便所掃除はねえだろう(笑)」

私自身、
このVTRを見て驚きました。

北野武さんは、
これまでにも
母親・北野さきさんについて言及していましたが、

「母親は師範学校出てたので、教育熱心だった」ということは、何度もお話されていました。

結局のところ、
北野武さんの母親・北野さきさんは、
「師範学校を出て、高山家の子供たちの勉強を見ていた」のではないのでした。

子供を教育する上で、
母親としてのプライドのようなものがあったのではないでしょうか。
先祖調査をしていれば、
「親から聞いていた話と全然違ってた」なんて、ことは、しょっちゅうあることです。

家系図調査につきものの、先祖の見栄

また、もう一点、
番組では、「高山家は男爵家で」と紹介されていましたが、これは事実ではありません。
高山男爵家というのは、存在しません。

高山家が男爵家だった、という話は、
番組内で、北野武さんの兄・北野大さんと、北野武さんの口から出ておりますが、
高山家の御子孫の方からは、そうしたお話はありませんでしたので、
この件についても、「母親のプライド」の問題で、子供たちの前で、見栄をはった、ということなのだと思います。

北野武さんの母親である、北野さきさんは、
とても大変な境遇で、お育ちになったのです。
こういった「聞いていた話と事実が違った」なんていう話は、どんな家系にもあることです。

「武士だったと聞いていたが、調べたら農民だった」
「地主だと伝わっていたが、小作農だった」
というようなことです。

こうしたことを、知ってしまうということは、
家系調査につきものですが、
とても小さいものだと理解してください。誰にも秘密や見栄、意地というものがあるものです。

ちなみに、
男爵家で…とか、華族で…というデマは、
しょっちゅうありますので、
華族制度について詳しく知っておいても良いでしょうね。

以下の記事にまとめてありますので、ご覧ください。

華族の意味と、現在の生活について

北野武の祖母と母親は、帽子店を経営

さて、話は番組に戻ります。

北野うしに見込まれた、小宮さきでしたが、
実は、北野家には以下のような事情がありました。

北野うしには、
恋人とのあいだにできた20代になる息子・徳次郎がいたのです。

この徳次郎と、小宮さきが、結婚したのです。
大正13年(1924年)のことです。

この頃、
北野家では、帽子の販売を家業にしていました。

「正木屋北野商店」というお店です。

ちょうど、
和装から洋装へと、ファッションが移り変わっていく時代でしたので、
帽子に目をつけたのでしょうか。

北野武の母親・北野さきの苦労はつづく

このように嫁入りした、北野さきでしたが、
不幸が襲います。

結婚して7か月後に、夫・北野徳次郎がなくなってしまうのです。

それで、北野家に跡取りがいなくなってしまったために、北野徳次郎のいとこにあたる、正端菊次郎(しょうずい・きくじろう)を婿に迎えることになったのです。

この正端菊次郎こそが、
北野武さんの父親となる人物です。

この後、昭和6年には、昭和恐慌の影響もあって、帽子店は廃業してしまいます。
そして、一家は、足立区島根に移ったのだといいます。

この足立区島根が、
北野武さんの地元だというのは有名ですね。

北野武の父親・北野菊次郎の実家のファミリーヒストリー

その後、番組は、
北野武さんの父親・北野菊次郎の実家、正端家のファミリーヒストリーへと移っていきます。

「正端(しょうずい)」というのは戸籍上の表記で、「正瑞」(しょうずい)が正式なようです。

とても珍しい苗字ですね。

このように珍しい苗字だと、苗字から先祖を調べるという方法が有効になります。
詳しくは以下の記事をご覧ください。

珍しい苗字の人のための先祖の調べ方

北野武の父親の先祖も、徳島市にルーツが!

ファミリーヒストリーの番組取材班も、苗字に注目し、苗字研究の専門家を訪ねます。

すると、
徳島県に勝瑞城(しょうずいじょう)というのがあり、正瑞(しょうずい)という苗字は、これに由来するのではないか?というアドバイスをしてくれました。

番組取材班は、徳島県を訪ねて、正瑞家の先祖を探ります。
すると、親戚にあたる人物が見つかり、先祖について聞いてみると、
「もともと先祖は武士だった」といいます。
また、
「勝瑞が正瑞になったのではないか」ということもお話しされていましたので、さきほどの苗字研究家の予想が的中したということになります。

また、
「正瑞」が正しいのに、なぜ戸籍上は「正端」になっているのかということについて、触れておきたいと思います。

番組では、
明治時代初期の戸籍登録の際に、間違えたのではないか、と説明していました。

これは、現代では信じがたいですが、よくあったことです。
明治時代初期の戸籍登録の際に、役人が漢字を間違えたまま、苗字が登録されたケースは、とても多くあります。

北野武のファミリーヒストリーの感想

というわけで、
今回のファミリーヒストリーでは、
北野武さんの祖母・北野うしと、母親・北野さき、そして、父親・北野菊次郎の実家・正瑞家のルーツを探りました。

また、
北野武さんが子供の頃の家庭の様子なども触れられていたので、
とても満足した内容に仕上がりました。

今回は、年末の拡大バージョンということで、
番組取材班の調査は、とてつもないものになりました。

地道に、いろいろな人を訪ね、丹念な調査をおこなった番組取材班に、北野武さんも満足されているのではないでしょうか。

ファミリーヒストリーという番組がなければ、
これほどまでに徹底的に家系を知ることはなかったでしょうから、
北野武さんにとって、とても貴重な機会になったのだと思います。

北野武さんは番組の最後で、母親に対して、
「感謝の思いしかない」と、話しているのが、とても印象的でした。

すばらしい番組を、見せていただきました。
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