戦前の中産階級の家系は、意外に先祖が分かりにくい
戦前の日本では、都市部の中産階級と、そうでない階級との格差がはっきりとしていました。
中産階級というのは、官僚や銀行員・サラリーマン・教員・学者・軍人・医者などの職業に着いていた家庭によって構成されていました。
上流階級がほとんどいなかった戦前の日本では、中産階級が豊かな都市文化を形成していました。
中産階級の家庭は、戦前の日本においてエリート家庭といって差し支えないでしょう。
参照リンク
戦前日本の中産階級(中流階級)について
戦前のエリートコース
戦前の日本においては、エリートコースというものが、ある程度決まっていました。
一番分かりやすいのが、東大に入って、官僚になるというコースです。
あるいは、陸軍士官学校や海軍兵学校に学んで、軍人になるのもエリートコースと言えます。
また、高等師範学校から教員になるのも、早稲田や慶應などを出て財閥系企業などに入るのも、エリートコースと言えるでしょう。
つまり、戦前の日本においては、学歴によって、社会的成功を約束されるというシステムが構築されていたのでした。
エリート家庭の先祖調査が難しい理由
しかし、こうしたエリート家庭では、先祖調査が難しいケースも見られます。
その理由としてあげられるのは以下の二点です。
・故郷とのつながりが薄いこと
・都市部の戸籍保存の問題
順に説明していきましょう。
戦前のエリートである中産階級は、大都市に住みました。
なぜかというと、学校も、官庁も大企業も、すべて東京をはじめとする大都市に固まっているからです。
中産階級の家系は、故郷とのつながりが薄い
地方で生まれた秀才たちは、東京や京都などの学校に入ります。
卒業後は、東京や大阪などで就職するので、生まれ故郷にUターンすることはありません。
彼らは、結婚し家庭を持っても、東京・大阪・名古屋・仙台・福岡といった各地方の中核都市に住まいを構えて独立します。
つまり、生まれ故郷とのつながりが薄くなってしまうのです。
中産階級の家庭の多くは核家族でした。
したがって、こうした家庭で育った子どもたちは、地方に住んでいる祖父母に会う機会は、ほとんどありません。
戦前生まれの方であれば、多くの場合、祖父母と同居するか、近くに住んでいた方が多く、身近に接していたと思います。
戦前生まれの方の祖父母であれば、明治初期くらいの生まれなので、江戸時代の先祖のことも知っていたはずです。
子ども時代に祖父母から、先祖の話を聞いた方も多いでしょう。
しかし、中産階級の家庭では、こうした機会が少なくなります。祖父母は地方に住んでいるので、会う機会も少ないです。
そうなると、当然、家に伝承されることも少なくなります。
戸籍保存の問題もある
また、大都市における戸籍保存の問題も深刻です。
地方から出てきた中産階級の家庭では、結婚して子どもが生まれると「分家」をすることも多かったのです。
すると、どういったことが起こるでしょうか。
例えば、東京に住まいを構えたので、「分家」して東京に本籍地を移したとします。
すると、東京で戸籍が編製されるわけです。
一般的に大都市ほど、昔の戸籍は残っていないものです。
東京や大阪といった大都市ほど廃棄処分が進んでおり、空襲被害も受けております。
こうした場合には、幕末における先祖の居住地が分からないといったケースもありえます。
幕末の先祖の居住地を知らないと、当然江戸時代以前の先祖を調べることができません。
こうした事情があるので、戦前のエリート層だった中産階級の家系は、意外に先祖を調べるのが難しいケースもあるのです。
とはいっても、こうした中産階級の家系のような名家の場合には、文献調査が可能なので、そのようなアプローチで調べることが可能です。