鹿児島県の家系図作成

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鹿児島県の先祖調査

鹿児島県は、旧薩摩藩の支配下にありました。
薩摩藩主・島津家は、豊臣秀吉や徳川家康によって滅亡の危機に瀕したこともありましたが、そうした苦境を乗り越えて、幕末まで存続しました。
薩摩藩が明治維新において、大きな役割を果たしたことは有名です。

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鹿児島の家系調査は他県と異なる

鹿児島県の家系調査は、他の都道府県とは異なるところが多いので、まとめてみます。
家系調査を進める上では、通常ならば、まず幕末の時点における先祖の職業を特定する必要があります。
もし先祖が武士であるのならば、分限帳を調べます。
分限帳は武士の名簿のようなもので、これを見れば、先祖の役職や経歴などが明らかになります。
参照記事
分限帳の調査

また、農民や町人であれば、宗門人別帳を調べていきます。
宗門人別帳は、江戸時代のキリシタン禁制によって成立した寺請制度に基づくものです。
宗門人別帳は、戸籍のようなもので、家族構成が分かるようになっています。
毎年のように作成されたので、これをすべて調べれば、先祖のことがよく分かります。
参照記事
宗門人別改帳の調査

異様に多い「士族」

このように、先祖が武士か庶民かによって、家系調査の方法が変わってきます。
しかし、薩摩藩の場合は、そうはいきません。

薩摩藩というのは異様に「士族」の多い藩です。
全国平均では7%ほどしかいなかった「士族」が、薩摩藩では30%くらいいたのです。
薩摩藩は明治維新の立役者だったので、他の藩においては「士族」になれなかった下層の武士階級であっても、「士族」にしたのではないかと思われます。

農民と同じ調査方法をとる

しかし、そもそも薩摩藩には異常に武士が多かったというのも事実です。
こうした大量の武士を、分限帳で扱うのは、まず無理です。
他の藩においても、分限帳には上級武士しか掲載しなかったようですから、武士が大量にいた薩摩藩では尚のこと無理です。

鹿児島県の家系調査では、武士の家系であっても農民と同じように宗門人別帳を調べます。
薩摩藩の武士の多くは名ばかりで、実際は農民と同じような暮らしをしていたようです。

寺院の調査も難しい

また、鹿児島では江戸時代以前の家系調査のために、寺院をあたるのは無意味です。
明治初期、薩摩藩は積極的に廃仏毀釈運動を推し進めました。
寺院はすべて廃寺となり、僧侶を還俗させ、仏具を取り上げました。
軍事費調達のために、廃仏毀釈が徹底されたとも考えられています。
こうした歴史があるので、寺院の調査によって、江戸時代の先祖が明らかになることはありません。

このように鹿児島の家系調査は、極めて独自性の高いものになります。

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