戦前の帝国大学と戦後の東京大学の進学の違いは?旧制高校から帝大への進学のシステムとは?
帝大への進学は、現在の東大や京大など旧帝大への進学とは、だいぶ異なっています。
現在ですと、高校を卒業していれば、本試験まで残れるかはともかくとして、誰でも東大を受験できます。
しかし戦前、帝国大学への進学というのは、受験資格があるというか、進学資格がある者は、原則としては、旧制高校の卒業者のみでした。
実は、東京帝大や京都帝大、東北帝大など、帝大に進学する際には、ほとんどの場合、無試験で進学できたのです。
なぜかというと、旧制高校全体の定員よりも、帝大全体の定員の方が人数が多かったからです。
旧制高校から帝国大学への進学は、ほぼ無試験
現在でも慶應系の高校出身の方が、慶應大学に進学するときは、このような感じみたいです。
慶應系の高校からは、医学部や法学部政治学科、法学部法律学科といった難関から順々に定員が埋まっていくのですが、
あまり競争率の高くない不人気学部には、慶應系の高校を出ていれば、事実上誰でも内部進学できるといいます。
戦前の帝大も同じような仕組みであり、
各帝大の医学部や、東京帝大の法学部や工学部、京都帝大の法学部といった一部をのぞけば、無試験で旧制高校から上がれる仕組みになっていました。
戦後の東大受験とはだいぶ違いますね。
旧制専門学校出身者が、帝大の不人気学部に進学
旧制高校出身者だけでは帝大の定員が埋まらない分は、
高校出身者ではない、専門学校出身者が進学していました。
帝大のなかで、あまり競争率が高くない学部には、
例外的に、専門学校出身者が進学できるという構造になっていました。
東京帝国大学の後身が東京大学、京都帝国大学の後身が京都大学ということになっていますが、
受験からして、その実態は相当違うようですね。