島津斉彬・島津久光の子孫の現在は?鹿児島県、薩摩藩主・島津家の家系図は有名人が多い?
島津家は、
九州の南端にあたる
鹿児島県(旧薩摩国、大隅国)を支配した
大名家として知られています。
島津家は
戦国時代の当主、
島津義久の代には、
九州統一の一歩手前まで、
勢力をのばしました。
九州平定によって、
島津家の領土は大きく減りましたが、
江戸時代を通じて、
薩摩国、大隅国の支配をつづけ、
幕末には
明治維新の原動力になりました。
今回の記事では
鹿児島県を支配した
旧薩摩藩主、
島津家の家系図や子孫に焦点をあててみたいと思います。
島津家の幕末の当主、島津斉彬
幕末の
島津家の当主は、
島津斉彬(しまづ・なりあきら)です。
島津斉彬は、
薩摩藩主島津家の第11代当主にあたります。
島津家の当主の数え方には二種類あり、
徳川家康によって、
薩摩藩主として現在の鹿児島県の地域の
支配を許された、
初代薩摩藩主の島津家久を初代とするものと、
鎌倉時代の武将である
島津忠久を初代とするものがあります。
島津斉彬は、
薩摩藩主としては11代目ですが、
鎌倉時代の島津忠久から数えると、
28代目ということで、
島津家の歴史は
大変古いものであることがわかります。
島津斉彬は薩摩藩の名君
それでは
島津斉彬について、
どういった人物だったのかを
簡単に記しておきましょう。
島津斉彬は、
薩摩藩の名君として知られています。
島津斉彬は、
西洋の技術を積極的に取り入れ、
薩摩藩の近代化につとめました。
また、
下級武士階級の
西郷隆盛や大久保利通らを登用し
のちに明治維新の際に活躍する人材を育成したことで、
島津斉彬という人物の
先見性というのが見えてきますね。
島津久光の子孫の系統も、現在の当主に受け継がれている
また、
幕末の島津家の人物としては、
島津久光も有名です。
島津久光は、
島津斉彬の異母弟にあたります。
島津久光は、
島津斉彬没後の薩摩藩の最高権力者でしたが、
薩摩藩主にはなっていません。
島津久光は、
島津家の分家の当主という立場です。
結果的には、
島津久光の息子が本家に養子入りし、
島津斉彬の娘と結婚しているので、
島津久光の血統は、
現在の島津家当主に受け継がれることとなりました。
島津忠義の家系図
それでは
島津家の家系図を見ていきたいと思います。
島津家の最後の当主である
島津忠義の代から見ていきましょう。
島津忠義は、
島津久光の息子であり、
また、島津斉彬の娘婿にあたる人物です。
島津忠義 従一位勲一等公爵 1840-1897
天保11、島津久光長男、薩摩藩主・島津斉彬養子
薩摩藩第12代藩主正室・暐子(てるこ)
嘉永4、斉彬三女継室・寧子
嘉永6、斉彬五女、近衛忠煕養女継室・棲子
板倉勝達二女側室・山崎寿満子
嘉永3側室・菱刈久
二女・清子
明治4
侯爵黒田長成と結婚三女・充子
明治6
旧岡山藩主・侯爵池田詮政と結婚
のちに旧松江藩主家、伯爵松平直亮と結婚四女・常子
明治37
山階宮菊麿王と結婚五女・知子
明治8
伯爵徳川達孝と結婚七女・貞子
明治11
伯爵久松定謨と結婚八女・俔子(ちかこ)
明治12
久邇宮邦彦王と結婚十女・正子(なおこ)
明治18
公爵徳川家正と結婚四男・忠重 ※次代当主
五男・忠備(ただみつ)
明治24
島津男爵家を創立六男・忠弘
明治25
島津男爵家を創立七男・久範
明治27
旧佐土原藩主、伯爵島津忠麿の養子となる八男・康久
明治28十一女・為子
明治30
侯爵徳川頼貞と結婚
薩摩藩主・島津家の子孫は、徳川家一門や皇族と結婚
島津家の家系図をみると、
島津忠義の子供たちは、
徳川家や松平家の子孫と結婚している例が多いことに
気がつきます。
また、
島津忠義の子供は、
皇族とも結婚しています。
山階宮菊麿王、久邇宮邦彦王は皇族の方ですので、
島津家の子孫は皇族にもいる、ということになりますね。
香淳皇后(昭和天皇皇后)の家系図や両親は?父親や母親、兄弟と実家?
島津忠重の家系図
さらに
旧薩摩藩主・島津家の子孫の家系図をくだって、
次の当主である
島津忠重を
中心とした家系図を見てみましょう。
島津忠重 正二位勲一等公爵 1886-1968
明治19、島津忠義四男
海軍兵学校、海軍大学校各卒
海軍少将
貴族院議員妻・伊楚子
明治21、公爵徳大寺実則娘
学習院女学部出身長男・忠秀 (後述) ※次代当主
長女・経子
大正2
女子学習院出身
島津久大と結婚二男・晃久
大正3
東京工大出身
島津忠重の甥、伯爵鹿島萩麿の養子となる三男・矩久(かねひさ)
大正6
東大鉱山冶金科卒
通商産業省技官同妻・行子
伯爵柳原博光三女四男・斉徳
大正8
東大農学部卒
茨城大学教授
伯爵柳沢保承の婿養子となる※家系図は敬称略
島津忠重の妻は、
公卿の名門である徳大寺家の娘さんで、
西園寺公望元首相の姪にあたる方です。
また
島津忠重の三男、
島津矩久さんは、
大正天皇のいとこにあたる、
柳原義光の孫娘の方と結婚しています。
島津家の子孫は、
明治時代から現在にいたるまで、
皇族やその親戚との結びつきを
強いものにしているようです。
島津家の子孫は、近衛文麿とも親戚
島津家の子孫の家系図をさらに見ていきます。
島津忠重の長男である、
島津忠秀さんを中心とした家系図です。
島津忠秀さん 従四位 1912―1996
明治45、島津忠重長男
京大動物学科卒
農林省水産試験場勤務、島津興業会長妻・昭子さん
大正5、公爵近衛文麿長女
女子学習院出身男・修久さん(後述) ※次代当主
長女・滋子さん
昭和14
お茶の水女子大卒
大島義隆さんと結婚
島津家の先代の当主である
島津忠秀さんの妻は、
近衛文麿元首相の長女の方です。
島津家の子孫の、現在の当主の家系図
そして
島津家の現在の当主である
島津修久(しまづのぶひさ)さんの家系図です。
島津修久(しまづのぶひさ)さん
昭和13、島津忠秀次男
中大法学部卒
島津興業会長妻・伊津子さん
昭和13、西郷隆一氏長女 ※西郷隆盛の曾孫
聖心女学院出身長男・忠裕さん
昭和47
島津興業社長
島津家の現在の当主、
島津修久さんの妻は、
西郷隆盛の曾孫にあたる方です。
こうしてみると
薩摩藩主・島津家の子孫の家系は、
旧公家や明治維新の功労者など、
いろいろな方の血統が受け継がれていることが
わかりますね。
薩摩藩主・島津家の子孫の有名人は誰?
そして
薩摩藩主・島津家の子孫の有名人について、
最後に書いてみたいと思います。
明治期の島津家当主、
島津忠義の娘・俔子(ちかこ)が、
久邇宮邦彦王と結婚しており、
久邇宮邦彦王の娘が、
昭和天皇の皇后である
良子さま(香淳皇后)になります。
つまり、
平成天皇(明仁さま)と天皇陛下も、
薩摩藩主・島津家の子孫ということになります。
というわけで、
鹿児島県の旧薩摩藩主、
島津家の家系図や子孫の話題について書いてみました。