中川翔子さんの実家と家族とファミリーヒストリー 

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平野弥十郎様御肖像

中川翔子さんの先祖と家系図

タレント・中川翔子さんの『ファミリーヒストリー』を見ました。
当サイトならではの、家系図作成の知識を交えながら、今回も考察と感想を加えていきたいと思います。

実は、番組放送前からネット上では「中川翔子の家系図がすごい!」と話題になっていました。
伊藤一隆という北海道の水産事業に関わった人物が、高祖父にあたるというのです。

伊藤一隆は、「少年よ、大志をいだけ」の言葉で有名な、クラーク博士の教え子の一人です。
内村鑑三や新渡戸稲造らとともに札幌に学んだといいます。

ファミリーヒストリーでは、伊藤一隆の父の代に遡って、ルーツを探っていました。

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中川翔子の母方の家系は、有名人だらけ

伊藤一隆の父は、平野弥十郎と言います。
平野弥十郎は、中川翔子さんの母方祖母の曽祖父にあたる人物です。五代前の先祖ですね。
平野弥十郎も実は有名な人物なんです。

平野弥十郎から始まるファミリーヒストリー

平野弥十郎は、文政6年(1823年)に江戸、浅草で生まれました。
生家は雪駄商でしたが、時代の先を読んで、土木工事業に転じました。
勝海舟の指示のもと、神奈川台場をつくる現場監督を任されたといいます。
また、品川の「八つ山」を崩して、海の埋め立て事業も、平野弥十郎が中心となって行ないました。

城南五山と東京の高級住宅地

八つ山といえば、城南五山の一つですね。
東京の高級住宅地に「城南五山」と言われるものがあります。
池田山、島津山、花房山、御殿山です。
すべて品川区東北部にある高級住宅エリアなのですが、「五山」というわりに、ひとつだけ無いのです。

実は、残るひとつが「八つ山」なんです。
八つ山は、中川翔子さんの先祖が、切り崩してしまったということになります^^;

北海道に渡った、中川翔子の先祖

平野弥十郎は、明治初期には北海道に単身赴任して、道路建設事業を指導します。
平野弥十郎は、『平野弥十郎日記』というものが残されていて、それを元にして番組を構成していました。

中川翔子さんの曽祖父・伊藤一隆さんは、札幌農学校の第一期生だったことは、冒頭で触れたとおりです。
番組で初めて知ったのは、内村鑑三と親友だったということでした。

なんでも、クラーク博士の影響を受けて、初めて洗礼を受けたのが伊藤一隆で、その伊藤の影響で、内村鑑三もキリスト教に触れることになったといいます。
あらゆる歴史上の有名人と関わりがあるという、素晴らしい家系ですね。

今回のファミリーヒストリーの感想

今回は珍しく、ファミリーヒストリーによく見られる、太平洋戦争についての記録は一切ありませんでした。

今回のファミリーヒストリーは、先祖が有名人だったということもあって、いつものように、取材班の捜査能力の高さをうかがわせるような部分は少なかったです。
記録が多く残っていたので、調べやすかったのでしょう。

とにかく取材先が、大学や研究機関などの専門家の方ばかりで、平野弥十郎や伊藤一隆の業績について、伺うという形になっていました。

絢爛たる中川翔子の家系図

ちなみに、中川翔子さんといえば、閨閥(けいばつ)も素晴らしいです。
高祖父の伊藤一隆の妹は、札幌農学校の同期生だった大島正健に嫁いでいます。
大島家は、宗教学者の中沢新一さんの親戚なので、中沢新一さんと中川翔子さんは、遠い親戚ということになります。

中沢新一さんといえば、歴史学者の網野善彦さんの義理の甥にあたるので、網野善彦さんと中川翔子さんも遠い親戚ということになります。
かなり意外な組み合わせですが、このように名家の方は、いろんな家が親戚同士になっているんですね。
近代名士家系大観:伊藤一隆

このような「ヨコにつなげる家系図」というのも作ってみると面白いと思います。
意外な有名人が、親戚にいたなんてことが分かるかもしれません。

また、次回のファミリーヒストリーの放送を楽しみにしたいと思います。

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