江戸時代の農民という身分

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mikadago / Pixabay

江戸時代の「村」と「百姓」

江戸時代の町人が「町」に住んでいるのに対し、農民は「村」に住んでいました。
ここで述べる「村」とは、諸藩が農民支配のために設けた行政の単位のことと定義します。

「村」というと田畑のある農村を想像しがちですが、それだけではありません。
漁村や山村などもありました。
村の住人を「百姓(ひゃくしょう)」と言います。
現在では「百姓」というと「農民」と同義語とされていますが、厳密には異なります。漁師や猟人(かりうど)も「百姓」です。
村の住人=百姓という理解でよいと思います。

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本百姓と水呑百姓

百姓は大きく二つの身分に分けられます。
・本百姓(ほんびゃくしょう)
・水呑百姓(みずのみびゃくしょう)
本百姓は、田畑を所有し、年貢を負担します。
そして村政にかかわります。
本百姓のなかから、庄屋・組頭・百姓代といった村役人が選出され、村落において指導的な立場を務めました。

参照記事
庄屋・名主ってどういう意味?

水呑百姓・名子・被官

水呑百姓は、田畑を所有せず、本百姓から土地を借りて耕しています。
名子(なご)や被官(ひかん)というのも、本百姓の支配下にある隷属農民です。
水呑百姓・名子・被官といった人びとは、村政に参加できず、一人前の百姓として扱われなかったのです。

村請制度というシステム

江戸時代の百姓は、村請制度(むらうけせいど)という仕組みで支配されました。
村請制度とは、税負担などを村単位で負担するという仕組みのことです。
年貢は、個人ごとにかかってくるのではなく、村全体にかかってくるのです。
それを村役人が、それぞれの農民に負担分を振り分けて、徴収しました。

江戸時代は累進課税ではないので、一律に40%といったような課税をします。
このような課税では、当然貧しい農民ほど負担が重くなります。
どうしても年貢が払えない、というものも出てきます。
そういった場合に、他の農民が年貢を立て替えることになります。

年貢を立て替えた農民は、無償で年貢を負担するわけではありません。
しっかりと、後で利子をつけた上で返済してもらいます。
こうしたことから農民間における経済格差が広がっていきました。

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江戸時代の農民の階層/地主・自作農・小作農


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